昨年あたりから「KY」という言葉が流行り、一般的に使われるようになっているようです。「KY」とは「空気が読めない」の略で、場の空気や雰囲気、ムードを読んで行動できない人、その「空気」に水を差すような人を非難する意味合いで使われているようです。しかし、「空気」とは一体何でしょうか?「空気」をうまく読めれば、物事をすべてうまく運べるのでしょうか?

この「空気」について論じた書物として有名なのが、約30年前に出版された山本七平の著作「空気の研究」(文春文庫)です。同書によると、空気とは、強力かつ絶対的な支配力を持つ判断の基準であり、それに抵抗するものを異端として社会的に葬ることができるほどの力を持つと定義してあります。また、この「空気」を起こす原因として、人々がある物事へ何らかの過剰な感情移入を行い、この感情を“絶対化”することと分析しています。

近年の「空気」で最も私の印象に残るのは、3年前の小泉首相による「郵政解散」とその結末でしょう。郵政民営化の是非を争点としたこの選挙で自民党は大勝しましたが、大勝をもたらした原因は郵政民営化が日本社会・経済にとって必要であるという論理的・合理的な理解や納得ではなく、さまざまな手段を使って「抵抗勢力」に敢然と立ち向かう(ように見えた)小泉首相(当時)を無条件に助けたい、支持したいという多くの人々の過剰な感情移入とその絶対化であると言えるでしょう。3年後の今、この時の選挙で小泉首相を支持した人に、すでに実施されている郵政民営化がどれくらい有益であろうとその時期待したのかと問うた時に、合理的な説明ができる人がどれくらいいるでしょうか?

この「空気」で物事を決める、意思決定を行うことのリスクは何でしょうか?私は、意思決定の結果に対し、「合理的でなく、後になって決定の根拠が分からない」ところにあると考えます。「空気の研究」では、戦艦大和の特攻攻撃を断行し、沈没させた意思決定のプロセスが事例として挙げられていますが、近年における類似のケースでは、旧山一証券の経営破たんの原因となった損失隠しの意思決定プロセスが挙げられます。両者に共通しているのは、意思決定プロセスに介在した人々はみなその分野のプロで、論理的分析やそこから意思決定を行う能力に欠けていたわけではないものの、その後にその意思決定に至った理由を問う質問に対して、「その時の空気ではそうするしかなかった」という答えを返している点です。つまり、各々の当事者たちもそれらの意思決定に対して合理性や明確な根拠がないことを自覚しつつも、そういう決定を行ってしまったということなのです。なぜそのような結果となったのでしょうか?私はここでも、「感情移入・思い込み」が合理的な判断を阻んだのではないかと思います。「大和を出撃させれば不利な局面を打開できる」「損失隠しを続ければいつか景気が良くなったときに取り返しがつく」といった一点を思うあまり、その期待する状況に過剰に感情移入し、絶対化してしまったのではないでしょうか。

企業組織の中においては、近年、IRの充実化やJ-SOX法施行による内部統制の普及によって、企業内の主要な意思決定についてはその根拠も含め、外部に公開するケースが出てきたため、「空気」で意思決定するといった非論理的なプロセスはありえないという方もいらっしゃるかもしれません。しかし、外部に公開するレベルではない、個々の意思決定については、自らの計画に対する感情移入を根拠の中にちりばめて主張し、計画継続を勝ち取る、力のある人の「ツルの一声」で方針が決まってしまう、といった出来事は起こっていないでしょうか。

個別投資案件の評価や事業ポートフォリオ評価といった、定量評価による事業案件もしくは事業全体の分析と、それに基づく意思決定は、感情と感情移入による“絶対化”を排除する“相対化”による把握のプロセスです。このプロセスでは、あたかも鏡に自分の姿を写すように、現行計画や事業の全体像を相対的、客観的に俯瞰します。あるいは「代替案」によって、感情移入されて“絶対化”しそうな現行計画を“相対化”し、決められた評価軸に対して有益なのはどちらであるのかを客観的、多面的に見定めることによって、どれくらい有益なのか、なぜ有益なのかを論理的に追究します。

また、「空気の研究」では、継続的に何かを研究・追究するには「空気」から独立し、「空気」による決定の拘束から外れることが前提条件であるとし、「空気」によって拘束されているのに原因や対策を追究せよというオーダーは矛盾しているとも述べています。このことは組織内の意思決定についても全く同様であると言えるでしょう。定量評価による意思決定は科学的・論理的なプロセスであり、当然ながら「空気」による意思決定とは真逆であります。また、両者の意思決定結果は異なることが多く、つまり「空気」による意思決定への拘束がある限り、定量評価による意思決定はなされることがないということになります。

皆さんの会社では「空気」から独立していますか?あるいは、「空気」に対して「水を差す」ことのできる人はいますか?

(井上 淳)