昨年4月のコラムで、「空気」が意思決定に与えるマイナスの影響についてお話しました。
(http://www.integratto.co.jp/column/024/)
このコラムでお話した、「空気」が物事を支配するというのは必ずしも日本人に限定した特性ではないと思われますが、他の国々と比較して、合理的・論理的ではない物事や考え方に依拠して意思決定を行う傾向は日本人に強いという指摘があります。

井沢元彦氏の「逆説の日本史」は1992年から現在に至るまで週刊誌に長期連載され、単行本も出ています。独自の推論で過去の日本人の行動を分析しており、その推論の全てが肯定的に受け取れるわけではありませんが、氏が指摘している日本人の特性のいくつかは、日本企業およびその中の日本人の行動特性につながるところがあり、大変興味深く感じました。

特に、日本人の行動特性となる考え方としてこの本の中で取り上げられている以下の2点を知っておくことは、日本人同士で合理性と納得性を備えたビジネスの意思決定を行う上での「乗り越えるべき壁の高さ」を知る意味でも有益ではないかと考えます。一見するとやや古めかしく、ビジネスとは関係ないような言葉かと思われるかもしれませんが、今日のコラムではこれらをご紹介します。

まず1点目は、「コトダマ(言霊)」信仰です。読んで字の如く、言葉に宿る霊的な力を信じるという考え方です。コトダマの思想では、良い言葉を発すると慶事が起こり、不幸な言葉を発すると凶事が起こるということになります。結婚式における「忌み言葉」もこの考え方に基づくものであるそうです。
「逆説の日本史」では、コトダマ信仰によって政治を行っていた平安時代には「国の発展や民心の安定を具体的な手段で実現しようとは全く考えなかった。(中略)コトダマの世界では、他に何もしなくても、歌さえ詠んで『平和になれ』『豊かになれ』と言い続けていれば、そうなる。だから、彼等(中央の為政者・筆者注)は実質的に何もしなかった」
とあります。

現代の日本の政治にも似たような状況がありそうですが、話を現代の日本のビジネスシーンに移しましょう。我々日本人はビジネスの現場で、これからスタートする、あるいは既に進行中の具体的な事業やプロジェクトをあげて、それが失敗したことを想定することに積極的ではない傾向があるのではないでしょうか?近年、プロジェクトマネジメントの一つとしてのリスクマネジメントも広まってきていますが、日本人一人一人の素直な気持ちとして、そのようなことを想定するのが億劫であることはないでしょうか?これはやはり、「良くないことは考えない」「良い状態を願えば実現する」コトダマ信仰が現代の日本人にも影響していると思えるのです。

私にも近い意識を持った経験があります。先日、あるお客様の前で弊社のポートフォリオマネジメントツール「RadMap/portfolio」の新バージョンを紹介している時のことです。
新しい機能を説明する中で、「中断シミュレーション」の機能を説明することとなりました。
この機能は、特定の製品・プロジェクトが途中で失敗などにより中断した場合、全体に与える影響がどれくらいになるかをシミュレーションする機能です。(「中断シミュレーション」など、RadMap/portfolioの主な機能についてはこちらhttp://www.integratto.co.jp/bi/product/radmap/portfolio/portfolio2.html)その説明では、お客様の実際のデータを使って行っていたので、実際に進行中のプロジェクトをあげ、数年後に中止した場合の例を示し、売上やコストの変化をご覧いただいたのですが、実際のプロジェクトを指定して中断した状態をお見せするのには私自身、大変気が引けました。
この気持ちもまた、良くないこと、起こってほしくないことを口にすること自体をためらう気持ち、コトダマの影響があるのではと感じました。

2点目は、「ケガレ(穢)」意識です。この意識のエッセンスは、「罪も禍も過ちも皆同じく穢で、悪霊の仕業と考える」ということです。この考え方で言うと、「過ち=ケガレ」となり、ケガレを避けることはすなわち過ちを犯す・失敗することを回避することとなります。
「逆説の日本史」では、平安時代以降の政治体制の中では、場合によっては人の命も奪う=死穢(しえ)を持つ治安維持・国防行政は「ケガレ仕事」として放棄され、それを代行して発祥したのが武士であり、それらが実権を握り、実際の政治を行ったのが将軍であり、幕府であると説明しています。

翻って、現代の日本のビジネス社会において、「ケガレ」を意識するような場面はないかもしれません。しかし、「汚れ仕事」「手を汚さない、傷をつけない」といった言葉はいまだに存在するのではないでしょうか?日本人のビジネスプロセスにおいてたとえば内部調整といった例を考えてみましょう。内部調整業務は一般的に手間がかかる上に利害が対立しやすく、調整に失敗すれば社内の評価が下がるようなリスクを包含する仕事であるため、汚れ仕事と見なされやすく、これを避け、マネジメントの代わりにミドルマネジメントが、またはミドルマネジメントの代わりに部下がその業務を執行するといった例はないでしょうか?この例のように、仕事内容によって融通無碍にステークホルダーを差し替える傾向も、この「ケガレ」を忌避する傾向が影響していると思われます。

このような日本人の特徴・特性は、長く歴史に培われ、私たちの深層心理に根を下ろしたものであると言えるでしょう。したがって、コトダマを信じる気持ちやケガレ意識を排除しようとしても、一朝一夕に取り除けるものではないと思われます。これらの考え方・特性を踏まえた上で、合理性・納得性を確保したビジネスプランニングと意思決定を行うには、日本人的センスでいうところの「水を差す」行動が必要です。つまり、「起こってほしくないこと」を想定するだけではなく、口にすること・他の人と共有すること、また誰が意思決定者か、誰がステークホルダーなのかといったフレームを作り、実際にそれを執行するといった明確な関係者全体のコミットメントを持つことが、一つのリスクマネジメントであるといえるのではないでしょうか。

それは私たちも含め、日本人にとっては勇気のいることです。しかしそれこそが乗り越えなければならない「壁」であることを知っていれば、また乗り越えるための努力が必要であることを知っていれば、武士のごとくリスクを積極的に引き受け、リスクを踏まえた戦略を考えるという組織文化が根付く近道となるのではないでしょうか。ただし、武士はあらかじめ政府という組織の一員ではなく、結果的に組織の実権を握ったというプロセスは見習うべきところではありませんね。

(井上 淳)