今年は、日本体育協会・日本オリンピック委員会の創立100周年です。7月に行われた創立100周年祝賀式典にて、東京都の石原都知事が2020年夏季オリンピック開催都市に立候補する意向を表明しました。2013年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会までの2年間に及ぶ、バクー(アゼルバイジャン)・ドーハ(カタール)・イスタンブール(トルコ)・マドリード(スペイン)・ローマ(イタリア)・東京の6都市による招致レースがスタートしました。

以前のコラムでも取り上げましたように(注1)、筆者は弊社が専門とするビジネスシミュレーション・事業性評価の考え方とスポーツの分野をつなぐことができないかと考えています。そうしたところ先日、オリンピック招致活動に携わっている方々とディスカッションする機会がありました。そこで今回のコラムでは、「オリンピックの価値」に関する考え方を取り上げ、それを踏まえて筆者が考えるオリンピックの招致活動の目指すべき方向性をご紹介したいと思います。

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弊社は定量的な指標をメインに用いた意思決定手法を提供していますので、「オリンピックの価値」を考えるに際し、まずは定量的な指標として表される「経済効果」の側面を考えたいと思います。オリンピックの経済効果に関する先行研究の結果をまとめたものによると(注2)、過去に開催された多くのオリンピックにてプラスの経済効果が確認されています。例えば、2004年アテネ五輪では102億~159億米ドルの経済効果があり、300,400人~445,000人の雇用創出につながったとの研究があります。実際には「経済効果」と言ってもさまざまなとらえ方があり数値で表現することが一概に容易だとは言えない面もありますが、さすがスポーツイベントの頂点とも言うべき存在にふさわしいだけの価値が体現されているように感じます。また、現在のオリンピックマーケティングによる収入の大半を占めるスポンサー契約・放送権収入についても年々上昇しており、例えば2006年トリノ五輪と2008年北京五輪における放送権収入を合計すると25.7億米ドルにも上ります。このような「放送権収入の増加」といった事実も「オリンピックの(コンテンツとしての)価値」が高まっていることの一つの表れではないでしょうか。

ただ、「オリンピックの価値」を金銭面の効果のみでとらえることは果たして適切でしょうか。ラグビー元日本代表選手・監督として活躍された平尾誠二氏は「僕は、スポーツの価値は“経済効果”では測れないと思っている。オリンピックが来たらこんなにもうかる、物が売れたり、人が動いたり、施設を再構築したり……。でも、スポーツの価値はもっと人間の内面的なもの、感情の起伏にあると思っている。子供の時に獲得したもの、感じたものが後々、どれだけの価値になるかは想像つかないものがある」と語っています(注3)。そこでオリンピックの精神=オリンピズムの根本原則を成文化した「オリンピック憲章」を読んでみると(注4)、「オリンピズムは人生哲学であり、肉体と意志と知性の資質を高めて融合させた、均整のとれた総体としての人間を目指すものである」と記載されています。そして、オリンピズムを具現化して「青少年教育」「フェアプレー精神」「平和への貢献」「ジェンダーの平等」「環境への取り組み」などの使命と役割を果たすためにIOCが推進している諸活動=オリンピックムーブメントの一つとして、それぞれ4年に1度の夏季・冬季オリンピック競技大会が位置付けられています。いわば、競技としてのオリンピックはオリンピズム実現という目的遂行のための一手段になるわけです。しかし、スポーツイベントのとしてのオリンピックという側面がメディアなどであまりにも強調されてきた現在の状況では、このようなオリンピズムの枠組みについて正しく認識している人はどれほどいるでしょうか。実際、筆者はIOC委員である猪谷千春氏が「世間では『オリンピックムーブメント=オリンピック大会』との認識が大半だろう」という懸念を表現されていたのを聞いたことがあります。つまり、目的と手段が逆転して「世界一の座を競う場を設けるために、オリンピックという概念が存在する」という意識になっているのです。

このように、「オリンピックの価値」のとらえ方にも、さまざまな切り口が理念的・現実的に存在することがわかります。これはまさしく、弊社が携わっている事業性評価プロセスにおいて、価値評価を行うに当たっては多様な評価尺度を考慮する必要があることと軌を一にするのではないでしょうか。そこで、事業計画策定プロセスの後半のステップ、事業価値を分析・評価し戦略案を策定していくことを(やや強引ですが)オリンピック開催都市の選出プロセスになぞらえ、具体例として「2020年夏季オリンピック開催都市に立候補した東京が、開催都市に選出されるために招致活動を通してどのように価値最大化を訴えていくべきか」を筆者なりに考えてみたいと思います。

筆者が考える最も大事なポイントは、「オリンピックの価値」と一口に言っても誰にとっての価値なのか、という視点に注意して、対象に応じてアピールの仕方を変える必要がある点です。具体的には、オリンピック開催都市は最終的にはIOC総会でのIOC委員の投票によって決まりますので、国外向けに「オリンピックを東京で開催することは、オリンピズムに集約されているオリンピックの価値の実現を最も達成することにつながる」というメッセージが重要になります。一方で、国内向けとして開催国・都市の人々に対しても「東京(日本)でオリンピックを開催することは、東京(日本)にとって大きなメリットをもたらす」との認識を広め、オリンピック開催への支持を高めることが必要不可欠です。例えば、東京が2016年夏季オリンピック招致に失敗した原因の一つとして、オリンピック開催に対する市民の支持率が55%と低かった(注5)ことが挙げられます。そして、「オリンピックの価値」として先に述べた部分のうち、前者の経済的側面が主に国内向けのメッセージに、後者のオリンピズム実現の側面が主に国外向けのメッセージに対応する形で、両面を融合したオリンピック像を提示することに成功した都市が、「オリンピックの価値」を最大化できる都市としてオリンピック開催の栄光を勝ち取ることができると考えます。例えば、来年2012年夏季オリンピックを開催するロンドンは、オリンピックを機に他民族の若者が多く住んでいる市内のスラム街を再開発することで、雇用対策になると同時に若者へのスポーツ浸透や民族調和が促進されるという方向性を打ち出し、(同じく他民族からなる)各国の支持を得ることに成功しました。また、2016年夏季オリンピック開催都市に決まったリオデジャネイロは「南米初のオリンピック」という大義名分を前面に押し出して招致レース序盤の社会インフラ面や治安面での劣勢を跳ね返しましたが、これはオリンピズムを世界中に普及する目的に合致すると同時に、巨大な南米市場を開拓することの経済的魅力をも併せ持ったメッセージでした。

そこで東京のことを考えると、今年3月の大震災からの復興、という要素が他都市との差別化要因として一つ存在しています。ただ、いわゆる「復興オリンピック」というスローガンだけでは、1964年夏季オリンピックを東京で開催したのと同様の状況(戦後復興の象徴)に過ぎず、上述した「オリンピックの価値」との直接的な結びつきが弱いため、少なくともIOCの場での支持を得ることは難しいでしょう。もし震災復興をテーマに加えるなら、「震災の経験を通じてオリンピズムの重要性を深く感じることができた私たちであれば、オリンピックの価値を最大限生かすことができる」というメッセージを国外に発信することが必要になります。例えば日本体育協会・日本オリンピック委員会・日本サッカー協会・日本トップリーグ連携機構のスポーツ界4団体は、震災復興を目的として「スポーツ笑顔の教室」「スポーツ笑顔のメッセージ」などトップアスリートが被災地の子どもたちと触れ合うことで元気を取り戻し、社会全体に活力が生まれて復興への大きな力となることを目指す「スポーツこころのプロジェクト」を実施する取り組みが挙げられます(注6)。他方、国内向けの側面についても、単なる掛け声ではなく震災復興を目に見える形で象徴することができてこそ、「オリンピックの価値」を多くの市民が認識することにつながるように筆者は感じます。例えば、スポーツライターの玉木正之氏は「スポーツの歴史・文化」に関連してオリンピック招致について以下のように述べています(注7)。「大切なのは『五輪招致』ではないはずだ。招致運動をきっかけに市民のスポーツ環境が整備され、住環境が改善され、暮らしやすい幸福な都市作りにつながる……というのなら、たとえ招致に失敗しても、五輪開催に立候補する価値はある、といえるだろう。また、それなら『招致反対』『税金の無駄遣い反対』と言う人々も説得できるに違いない。」

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以上、「オリンピックの価値」について筆者の考え方も交えながらご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。オリンピックに対して読者の皆様も様々な考え方をお持ちだと思いますが、本コラムが、オリンピックについて多様な価値視点に基づきつつ、より身近に考えるきっかけになれば幸いです。

(楠井 悠平)

(注1)Vol.46(2010.2.25) 「4回転ジャンプに挑むべきか?」参照。
http://www.integratto.co.jp/column/046/
(注2)横山愛、小林昌平、金子共威『オリンピックの経済効果』(第32回法政大学懸賞論文優秀賞、2010)
(注3)http://sportsnavi.yahoo.co.jp/rugby/text/201009200003-spnavi.html
(注4)http://www.joc.or.jp/olympism/charter/
(注5)IOCが2009年2月に実施した調査結果に基づく。
(注6)http://www.joc.or.jp/photonews/2011/09/20110915_02.html
(注7)「指導者のためのスポーツジャーナル」2011秋号41ページ参照。