筆者は仕事柄、研究・開発・製造・営業・バックオフィスといった機能別に分かれた会社の方々と接する機会が多くあります。このような会社の人々と接していてしばしば思うのが、「何でそんなことが伝わっていないのだろう」や、「何でそんなことを私たち社外の人間に聞くのだろう」といった疑問です。ここでの「そんなこと」とは、その会社内で機能を超えて当然に共有されてしかるべきルール、情報、考え方などです。私たちのような社外の人間が、「えっ、それを知らなかったのですか?」と思えることがあるのは、それだけ外から見て共有されるべきものが、ある機能部門に閉じて留まっているためです。このような状態を「組織のサイロ化」と呼ぶことがありますが、今回のコラムではこのサイロについて論じた「サイロ・エフェクト」という本を題材に、サイロがどうやって形成されるのか、サイロ化を避ける方法はあるのかについて考えてみたいと思います。

 縦割り組織をサイロと表現することは縦割りの弊害を説明する比喩としてよく使われてきました。本書「サイロ・エフェクト」では、サイロの意味について、高度に複雑化した社会に対応するため、大企業をはじめ様々な組織が専門家たちの「サイロ(窓がなく周囲が見えない状態)」になり、変化に対応できなくなっていることと定義しています。 サイロが発生して起こった弊害について、本書ではいくつかの事例をあげています。その中でも日本人である我々に最も伝わりやすい事例として、「ソニーのたこつぼ(原著では“Octopus Pots How Silos Crush Innovation”)」という章でソニーの事例をあげています。

 ウォークマンで一世を風靡したソニーは、1999年、ウォークマンの次世代商品をラスベガスで発表しました。最初にギタリストが演奏しながらおもむろに胸元から取り出したのは、「メモリースティック・ウォークマン」というデジタル音楽プレーヤーでした。ところがそのお披露目の後、CEOの出井伸之が披露したのは「VAIOミュージック・クリップ」という異なる独自技術を持つ別の製品でした。さらにそのイベントの後、ソニーは「ネットワーク・ウオークマン」というさらに異なるデジタル音楽プレーヤーを発表しました。
 同じ会社が、異なる技術で、競合する市場に複数の製品を投入するということは、異なる部門が、どちらかの製品で合意することはおろか、アイデアや情報を交換することも、共通の戦略も持たなかったことを意味します。部門がサイロになって、会社としての顧客へのメッセージや提供する価値が不明確になった典型例です。その後ソニーがアップルに負けた姿は、本書では2013年のPS4のプレス発表の場に記者が持ち込んだノートパソコンや携帯電話に、ことごとくアップルのロゴマークが星のように光っていたシーンで表しています。

 ソニーの事例で興味深かったのはサイロに至った経緯です。本書ではソニーは出井CEO時代に出井氏が会社をサイロに分割することが新しい経営と信じたと分析しています。創業者(井深大・盛田昭夫)の後を継いだ大賀典雄はやや専横とも言えるくらいのトップダウン型リーダーシップで会社をまとめましたが、その後を襲った出井は大規模化と複雑化、いわゆる「大企業病」が問題となっているソニーを、専門家の集団、サイロに分割することが最適解と考えたというのです。手本にしたのはネスレで、さらにその背景には1990年代に欧米のビジネススクールで流行した、会社を巨大官僚組織から独立採算制の個別事業の集合体に再編することで透明性や効率性を高め、責任の明確化を図ろうとする考え方でした。これに従い、1994年にそれまでの19の事業部門を8つのカンパニーに再編し、同時にゲーム、音楽、映画、保険事業は個別の子会社としてさらなる独立性を与えられました。この改革は短期的には成功しました。1993年から97年にかけてソニーの負債は25%減少し、利益は13倍に拡大しました。各カンパニーのトップが収支に責任を持ち、コストや借り入れを抑えながら利益率を拡大する方向を目指したからです。しかしその裏で弊害も進行していました。カンパニーや子会社のトップは自分の収益責任を果たすことに注力するあまり、競合他社のみならず社内の他の部門からも身を守ろうとしたのです。優秀な社員の他部門への異動、他部門とのアイデアの共有、実験的なブレーンストーミング、すぐに利益を生まない長期的投資は行われなくなりました。短期的なリターンの見えない、「ムダ」な活動が排除されたのです。出井CEOは途中からこの問題に気づきましたが解決には至らず、21世紀に入ってからソニーの衰退は止まらず(ソニーショックは2003年4月)、その結果、2005年に最もサイロから遠いハワード・ストリンガーを後継者とすることで解決を委ねたのです。
 既にソニーの経営から身を引いたストリンガーに対する日本での評価は非常に低いですが、本書ではサイロを破壊しようとした改革者として描かれています。2005年秋に大規模な組織改革を行い、カンパニー制の廃止と異なる事業本部の単一組織への再編を行いました。しかしこの取り組みは成功しませんでした。本書ではこの原因を言葉の壁によってストリンガーが現場に直接確認することができなかったため、面従腹背の状況を打破できなかったとしています。
 しかし、本当にそれが最大の理由なのでしょうか?もしそうであれば、同じように日本語を母国語としない日産自動車のカルロス・ゴーンも同じ結果に終わったはずです。私は、この2人の差は、自社の製品にどれくらい愛着を持っているかどうか、だったのではと考えます。ゴーンは日産のトップについて間もなく、同社のフラッグシップスポーツカーであるフェアレディZを復活させる判断を下し、そのお披露目の発表会では自らハンドルを握りました。私はそこにゴーンの「私は日産製品が好きだ」という言語の壁を越えたメッセージを強く感じました。同じメッセージを、「私はソニー製品が好きだ」という姿勢を、ストリンガーは社内外にどれくらい示せたのでしょうか?本書で示されているサイロに囚われない方策には含まれていませんが、私はサイロ化された組織を1つに統合するためにはこのようなトップの姿勢も不可欠ではないかと考えます。

 本書ではサイロ化を回避している事例としてフェイスブックを取り上げています。同じ部門に社員を長く留まらせないようにするなどのさまざまな仕組みで、サイロを発生させることを防いでいます。但し、興味深い著者の指摘として、「フェイスブック自体が1つのサイロになるのではないか」-これは社員の技術的バックグラウンドや年齢層が同質的であるために、会社そのものが外部から何をやっているのか分からない、また社員も外部からの目に鈍感になること-があげられます。これはフェイスブックのみならず、ハイテクIT業界全体が陥りやすいリスクと言えるでしょう。

 本書ではサイロに囚われないための4つの教訓として、次をあげています。
(1)部門の境界を柔軟で流動的にしておく
(2)報酬やインセンティブについて熟慮する
(3)全員がより多くのデータを共有できるよう、情報の流れに留意する
(4)世界(業界、競争する市場も含めて)を分類する方法を定期的に見直す

(1)についてはソニーの事例で明らかになったように、組織のメンバーを内向きに、守りにしないためにも、人が交わる仕組みを作る必要があるということです。(2)についても(1)と同様に組織に関する教訓で、部門別採算性が行き過ぎると個別最適に陥るということを意味しています。メンバーの所属するグループの業績のみで報酬が決まるのであれば、いかにグループ間で交流する仕組みを作っても、グループ同士が協力する可能性は低くなります。(3)については私どもにも関係が深い教訓です。インテグラートが示しているシミュレーションを通じて未来の見える範囲を拡げることを目指す考え方と同じであると言え、強く共感しました。(4)も同様に、物事を捉える枠組み自体を再検討すべきという考え方はフレーミングという弊社が取っている手法の1つにも通じる考え方で強く共感しました。

 本書で繰り返し示されているように、成功した組織は巨大化し、その上で統制を取るためにサイロが生まれます。本書の大きなメッセージとして、サイロ化による弊害を打破するために従事する人は、「インサイダー兼アウトサイダー」の視点を持つことと提言しています。組織の中で当たり前の分類、語られないほど身に付いた慣習に気付くことができること、本書では「分類システムをより大きな文脈の中で見られるようになる」というのは、よりアウトサイダーに立った視点であることです。トップは自社が生み出す製品への愛着を示し、逆に自社内の事業投資を検討し、計画に問題がないかどうか検討する人はアウトサイダー的視点で分析を言語化することが、サイロ化を防ぐ方策であると言えるでしょう。

(井上 淳)

出典:「サイロ・エフェクト 高度専門化社会の罠」ジリアン・テッド著、土方奈美訳、文藝春秋