「母屋でおかゆをすすっているときに、離れですき焼きを食べている」、これは、小泉内閣で財務大臣を務めた塩川正十郎が、一般会計が赤字を削っているのに特別会計で浪費していることを表現した言葉です。全体の方向性が一致せず、部分ごとに根拠や必要性が明らかでない手厚い資源配分が行われ、全体の効率性や納得感が損なわれることを指摘していると言えます。別の例では、納税者と生活保護受給者についても昨今類似する指摘がみられるように感じます。塩川は小泉内閣の「聖域なき構造改革」の一環として特別会計の整理統合の必要性を説いたのですが、筆者は企業のポートフォリオマネジメントを支援する立場でこの「母屋でおかゆ、離れですき焼き」と似たような感覚を抱くことがあります。海外の会社をM&Aした後の日本の親会社と海外子会社間の資源配分の実体が、「母屋でおかゆ、離れですき焼き」のような状況に映るためです。
 今回のコラムではこの比喩から、構造改革と企業のM&A後の企業統合(Post-Merger Integration /PMI)の類似性について考えてみたいと思います。

 最初に、「構造改革」の定義を確認します。構造改革とは小泉内閣以前から存在した政策論に関する考え方で、現状の社会問題の解決には、表面上の制度や事象だけでなく、社会の構造をも変える必要があるのでは、という考え方です。どちらかというと保守政党よりも革新政党における理論の1つで、日本ではかつての日本社会党の「構造改革論」が有名です。しかしながら、この構造改革論は実際に政策に反映されることはなく、日本における構造改革は80年代以降、行政機構に対する改革、「行政改革」として実行されました。その定義としては「資源配分の効率性改善へのインセンティブを生み出すような各種の制度改革であり、具体的には、公的企業の民営化、政府規制の緩和、貿易制限の撤廃、独占企業の分割による競争促進政策などがそれにあたる。」(※1)とされています。
 80年代半ばに中曽根内閣のもとで三公社(専売公社・電電公社・国鉄)の民営化が行われ、90年代後半には橋本内閣のもとで六大改革(行政・財政・社会保障・金融システム・経済構造・教育)が掲げられ、このうち行政改革では中央省庁の再編が決まり、金融システム改革ではいわゆる「金融ビックバン」と言われた規制緩和が行われました。小泉内閣での聖域なき構造改革はこの橋本内閣での改革を引き継ぐ形で行われました。
 小泉内閣での有名な改革は郵政民営化と道路公団民営化という行政改革が思いつきますが、本稿ではこれらの改革を進めるための枠組みに注目します。小泉内閣では経済財政諮問会議という総理大臣の諮問機関を事実上の司令塔とし、「骨太の方針」という政策の基本骨格を決定し、その各論について各省庁で検討させるという官邸主導の政策立案・実施の枠組みを作りました。小泉内閣がなぜこのような政策意思決定の枠組みにしたのかという点については様々な意見や分析がありますが、政治的な思惑を除いてガバナンスという観点で考えると、予算編成権を一省庁である財務省から行政の中心である首相官邸へ移行するという意図がありました。

 翻って冒頭にお話しした企業のポートフォリオマネジメントにおける「母屋でおかゆ、離れですき焼き」の比喩は、主に海外子会社を単位とした個別最適化が進行し、結果としてリターンという結果を伴わない、もしくは結果が不確かな投資を親会社よりも多く行っている状況を指します。もともとは独立した1つの会社ですので、M&A前はそれは全体最適であったと思いますが、M&A後、親会社である日本の会社が投資に関する統治改革を行わないことで、海外子会社の予算を中心とする既得権益が温存される状況が見受けられます。
 「聖域なき構造改革」での政策意思決定のフレームワークの改革は、省庁単位での個別最適・省益温存を許さず、国全体の最適化を図ろうという点で、M&A後の企業間の統合であるPMIに類似していると考えます。小泉内閣前の行政機構がそうであったように、それまで当然と認められてきた行動・行為が厳しくチェックされることは、多かれ少なかれ反発がつきものです。小泉首相は「この内閣の改革に反対するものはすべて抵抗勢力」という強力なメッセージで世論の圧倒的な支持を獲得し、これを背景にして反発を抑えました。
 この事例に倣うと、企業経営ではまだあまり見受けられませんが、経営者がIRなどによる適切な情報発信を通じて株主投資家など社外のステークホルダーの理解を得て社内統治改革を促進、という改革を進めるための新しい『成功の方程式』も導き得るのかもしれません。
 また、一朝一夕には達成できないPMIを行うには腰を据えた取り組みが必要です。小泉内閣では構造改革と経済成長という成果を同時に求めずに、「改革なくして成長なし」をスローガンに2001年度から2004年度を成長なしの集中調整期間とし、短期的に低い経済成長となることを認識したうえで、骨太の方針に基づいて冒頭の言葉に関わる財政投融資改革、行政改革、不良債権処理、規制緩和を進めました。筆者は小泉内閣でのこの構造改革を全面的に支持する訳ではありませんが、トップダウン型のガバナンス手法で諸々の改革をぶれずに腰を据えて取り組んだ点は評価します。PMI遂行のためには、小泉首相のような強烈なトップの意思表明とガバナンス改革実行のコミットメントが必要であることを強く感じます。構造改革とPMIの類似性を考えると、事業投資におけるPMIは、資源配分効率性改善と全体最適を実現するための投資ガバナンス構造改革である、といえるのではないでしょうか。

(井上 淳)

参考文献
(※1)野口旭・田中秀臣 『構造改革論の誤解』 東洋経済新報社、2001年首相官邸ホームページ