昨今の将棋界は藤井聡太七段に代表される若手世代の躍進が目覚ましいですが、その中にあって約30年にわたり第一線で活躍し続け、今年国民栄誉賞を受賞した羽生善治竜王には常々驚かされます。その羽生竜王の講演録に、棋士が限られた時間の中で一手を選択する際に「直感、読み、大局観」の順に使っている、という内容があり、これは事業投資の意思決定にも当てはまるのではないかと筆者は感じました。今回のコラムではその点について、羽生竜王の著作等を紐解きながら掘り下げて考えてみたいと思います。

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まず最初に使われる「直感」ですが、羽生竜王は以下のように述べています。
・将棋には1つの局面に平均80通りぐらいの指し手の可能性があるが、最初に直感で「これがよさそうだ」と候補手を二つ三つに絞る。
・このプロセスは、カメラで写真を撮る時にピントを合わせるような作業だと思っている。
・1秒にも満たない時間で今までの集大成として表れるものであるが、直感と閃きは違う。きちんと論理立てをして説明できるのが直感で、なんだかわからないがこの方が良いと考えるのが閃き。
・直感を磨くには、多様な価値観をもつこと、目の前の現象に惑わされないこと、そして自分の思うところ(自分自身の考えによる判断、決断)を試すことを繰り返しながら経験を重ねていくこと。

筆者はこれを読んで、事業投資意思決定プロセスにおけるフレーミング~シナリオ(戦略代替案)検討段階と共通点が多いのではないかと感じました。フレーミングも、奇しくも直感の説明と同じく写真で例えられる(カメラで写真に収める枠を決める)プロセスですが、案件企画評価の目的や戦略スコープなどを設定(ピント合わせ)します。なお、将棋では直感は経験に基づいて瞬時に行われるがきちんと論理立てをして説明できる、とのことですが、事業投資の場面では、ストラテジーテーブルやデシジョンツリーといった手法を用いることで論理性を担保していると考えることができます。事業投資企画の場面で「シナリオ(戦略代替案)を考えるのが難しい」という声を良く聞きますが、その際には直感の磨き方で挙げられている3つのポイントが参考になるかもしれません。

次に直感で選んだいくつかの候補手について使われる「読み」ですが、その内容は以下の通り羽生竜王の著作で紹介されています。
・これから起こりそうな展開を予測し、シミュレーションを行う。計算する能力とも言えるが、ただそれは単に一つの可能性をなぞっているに過ぎず、展開予想に加えて、あるところで判断を下して、なおかつ他の手段とも比較することによって初めて「読み」となる。
・「読み」の基本となっている考え方に「三手の読み」というものがある。つまり、一手目:自分の指し手(自分にとって最善のベストの選択)⇒二手目:相手の指し手(相手にとって最善のベストの選択=自分にとってもっとも困る選択)⇒三手目:自分の指し手(相手の出方を踏まえて自分がなにをするか事前に決めておく)、というプロセスの延長線上で長手数の読みも構成されている。
・とは言うものの読める手数にも限界はあり、また特に若いうちは読みの量で勝負できるが年齢が上がるにつれて短時間で読む力は衰える。その代わり、年を重ねると思考の過程をできるだけ省略していく方法が身につく。

この「読み」こそ、まさに投資評価における分析・シミュレーションが相当すると筆者は感じます。特にソフトウェアが得意としているところであり、短時間で価値評価を行うには適しているでしょう。また、他と比較することの重要性についても、まさに相対評価に基づくリスク・リターンの検討を行う観点で事業投資にも言うことができます。「三手の読み」という考え方も、「良いケース」「悪いケース」を両方示した上で(特に悪いケースの場合の)リスク対策も併せてしっかり考えておく、という面で通じるところがあります。読みに限界があるのと同様、分析にも(将来を全て可視化するわけではないという点で)限界があります。加えて、年齢や経験について触れられていますが、特に事業性評価をチームで実施する体制の場合には、比較的経験の浅い若手が分析を担当し、その分析をより効果的・効率的なものとするために経験豊富なベテランが分析の枠組み設定や解釈などの前後段階で力を発揮する、という役割分担が有意義であることを示唆しているように思います。

そして最後に登場する「大局観」について、羽生竜王は以下のように解説しています。
・「木を見て森を見ず」の反対のような視点で、全体を判断する目である。
・パッとその局面を見て、今の状況はどうか、どうすべきかを判断する。「ここは攻めるべきか」「守るべきか」「長い勝負にした方が得か」などの方針は大局観から生まれる。
・大局観では「終わりの局面」をイメージする。最終的に「こうなるのではないか」という仮定を作り、そこに「論理を合わせていく」ということである。簡単に言えば勝負なら「勝ち」を想像する。勝負の風向きを読むことに似ているかもしれないが、将棋は適当に次の手を指しているわけではなく、必ずそこに意味や方向性がある。
・若い人は大局観がないが、経験を重ねて大局観を身につけていくと大筋で間違っていない選択ができるようになる。

この大局観が用いられる場面は、事業投資では分析結果などを踏まえた意思決定の局面に合致すると感じられます。現状を踏まえて、どの分析結果・評価指標を重要視するか、はまさに経営陣の視点であり、また「木を見て森を見ず」に陥らず全体を俯瞰するポートフォリオマネジメントの側面も持ち合わせていると言えるでしょう。終わりの局面から考えを導いていく、という発想も、まず目標を設定した上で目標達成のために必要な打ち手を論理的に見出していくというアプローチに近しいものがあるのではないでしょうか。

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このように、将棋と事業投資という全くの異分野であっても、それぞれ極めていくとその本質には類似点が思いのほか多いことに改めて驚かされます。事業投資の意思決定力向上のためには、まずそのプロセスを「直感=フレーミングからシナリオ検討・読み=シミュレーション分析・大局観=全体的に判断」のように分解して考え、自分(あるいは自社)が各項目のうちいずれに優れているのか(または不足しているのか)を認識し、それぞれをより高めていくことが総合力につながるのではないかと期待しております。
最後に、蛇足ながらもう一点将棋からの示唆をご紹介いたします。将棋界には「感想戦」という習慣があり、対局が終わったあと、その一局を最初から並べ返して、どこが良かったか悪かったか、どこが問題であったかを振り返ります。事業投資評価の場面でも、案件実行後に感想戦を行うことで、過去の成功・失敗から学び経験として将来のより良い計画策定・意思決定に活用できるのではないでしょうか。

(参考文献)
羽生善治『決断力』(角川新書、2005)
羽生善治『大局観』(角川新書、2011)
羽生善治『直感力』(PHP新書、2012)
羽生善治『適応力』(扶桑社、2015)
「羽生竜王の金言、『結果と一致しないことに物事の機微は潜んでいる』」2018年5月1日、スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180430-OHT1T50154.html