このコラムを読んでいる方の年齢層はどれくらいでしょうか。時々、ありがたいことにコラムについてコメントをいただくことがありますが、大体筆者と同年代の40代の方が多いようです。最年少では女子高生から質問をいただいたことがありますが、これは10代の方の唯一の例です。
40代以上の方は、江副(えぞえ)浩正という名前をご記憶の方が多いでしょうが、30代以下の方はご存じないでしょう。現在のリクルートグループの創業者ですが、リクルートホールディングスのHPで沿革を見ても、何の説明もなくいろいろな写真の中にかつての江副の顔写真が載っていますが、名前はありません。先日、あるリクルートグループの会社の方(おそらく20代)と話す機会があり、「江副浩正という人を知っていますか」と尋ねたところ、知らない、という答えでした。

江副は30年余り前に「リクルート事件」という事件を起こし、逮捕され、社会的に消えてしまいましたが、今やグループ売上2兆円を超え、4万人以上の従業員を抱える企業を生み出した人物であります。今回のコラムではこの江副の生い立ちから創業し、事件を起こすまでの起業家としての活躍と、事件後、亡くなるまでの動きを描いた「起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男」を通して、起業家として彼が生み出した社会的価値と、現代では通用しない、社会的価値を減じる行為を振り返りながら、ESGのS=企業の社会的価値について考えてみたいと思います。

まず、江副が社会に生み出した価値としては、以下の3点があげられます。
・マッチングメディアの創出:
江副はもともと大学新聞に大手企業の求人広告を載せることで、それまで縁故採用中心で求人需要を満たせない悩みのあった大手企業に求人広告によって新人を採用する選択肢を提供し、企業を知るすべのない学生に就職に関する情報を提供するという、マッチングビジネスモデルの可能性を感じました。普通の人間であれば大学新聞から一般紙など既存のメディアへ規模を拡大展開する、求人専門の広告代理店だけで終わるところですが、江副は求人広告だけの本を自ら作り、無料で学生に配布し、企業からの広告収入だけで事業を成り立たせるアイデアを思いつきました。これが「企業への招待(のちのリクルートブック、現在のリクナビの前身)」となります。
情報を発したい人と、情報を欲する人を結び付けてビジネスにするモデルは、現代のGoogleの原型となるものです。このビジネスモデルを60年前に考案し、求人だけではなく、住宅、中古車、旅行などへマッチングの対象を拡大し、多くの人の情報の非対称性をなくしたことは、大きな社会的価値と言えるでしょう。

・ダイバーシティの推進:
江副は女性、高卒の人などを排除せずに正社員に採用しました。今から54年前、1968年の新卒採用38人のうち、大卒男子は7人で、あとは大卒女子8人、高卒男子8人、高卒女子15人でした。これは当時の大学進学率が男女合わせて15%程度で、大企業とは違い、まだ無名のリクルート(当時は日本リクルートセンター)は大卒男子が自由に採用できなかったという事情があります。しかし、「女子は腰掛け」「高卒は大卒の下働き」という社会的価値観の時代に、単に大卒男子で足りなかった人数を女子や高卒で補うのではなく「大学に進学できなかった進学校の卒業生」や「大卒男子と同様の幹部候補生として」採用することで、男子、女子、大卒、高卒を問わず横一線で競争できるようにしました。これは江副が「高卒や大卒女子は有能な人材である」とみなし、進学や就職で満たされない思いを抱える人たちに活躍の場を与えれば、能力を発揮してくれると考えたためです。
このように学歴や性別、出自を問わず、平等な競争の場を提供する意味で、この点も江副は先進的な社会的価値を提供したと言えるでしょう。

・自走する組織の構築:
リクルートは江副が事件によってトップを辞め、その数年後に自身の持ち株をダイエーに譲渡してオーナーの座を降りてからも成長を続けました。創業者がいなくなると経営が迷走し、業績が下がる日本企業が多い中で珍しいケースと言えます。
江副は他の多くの創業者―松下幸之助や中内功、本田宗一郎など―とは違い、自分をカリスマ性やリーダーシップがある人間とは思っていませんでした。その自覚から、カリスマのリーダーシップに置き換わる組織の原動力を、社員のモチベーションと定義しました。
「自ら機会を創り出し、自らを変えよ」これは江副が作った社訓です。「君はどうしたい?」と常に社員に尋ね、江副が既に辿り着いていた答えや、それを超えるアイデアを社員が示すと、「さすが!おっしゃるとおり!」と褒めたたえ、すかさず、「君がやってよ」と当事者にさせるという江副の動機づけのアクションが、江副がいなくなった後のリクルートが自走した原動力と言えるでしょう。

このように、江副はマッチングメディア、ダイバーシティ、自走する組織と、21世紀の企業に求められる価値を1960年代に考えた点で極めてビジョナリー、先見性のある起業家だったと言えます。事件を起こす前、80年代には「東大が生んだ戦後最大の起業家」ともてはやされていました。その江副がなぜ、自身が創業した会社の歴史からも消えたのでしょうか。次は江副の社会的価値を毀損した行動について取り上げてみます。

・情報の転用
江副は自身の家探しの体験から、求人情報の次に住宅情報のマッチングの機会に気づき、「住宅情報(現在のSUUMO)」を創刊します。しかし、リクルートはその前にマンション販売の会社を立ち上げていました。創業時に資産がなく、運転資金確保に苦労した経験から、江副は土地を保有することが資金調達を容易にすると考え、不動産投資も事業に加えていたのです。メディアである住宅情報事業本部と、マンションディベロッパーの子会社は、リクルートの同じビルに入っていました。広告として集めた不動産情報を、自社の不動産開発事業に転用する、インサイダー取引的な行動を江副は側近から指摘されても問題視しませんでした。
また、江副は個人投資家として株式取引を行っていました。それもわざわざ社長室の奥に小部屋を作り、そこで株式注文を出していたそうです。リクルートは「日本株式会社の人事部」となっており、その社長である江副が、寡占していた企業の採用情報という機密情報を使い、求人数が増えている会社の株を買い、減っている会社の株を売って儲けるという個人の株式投資に使っていたのです。
これは現代であれば完全にインサイダー取引規制に抵触します。私たちインテグラートも顧客の事業投資に関する機密情報に触れるがゆえに、顧客企業の株式を購入してはいけないという内部ルールを設けています。今では当然の考えだと思いますが、当時の日本の株式市場は情報の非対称性が生み出す不公平を是正する仕組みがありませんでした。

・情報の独占のための政治家やエスタブリッシュメントへの接近
江副とリクルートが行ったマッチングメディアの創出は、情報をオープンにするいわば「情報の民主化」という理念があると言えます。しかし皮肉なことに江副はこの社会的価値を生み出した成功をより成功させるために、まるで理念を軽んじるかのように政治家やそれに近い財界などの既得権益の世界に近づき、インサイダー情報を換金する行為を、メディアより手っ取り早く儲かる不動産で行いました。時代はバブル期で、土地を担保に銀行が融資し、そのお金でまた土地を購入することを繰り返しました。この不動産取引でインサイド情報を得るために政治家に近づいて行ったのです。その結果がリクルート事件でした。
江副は政治家などに広く上場を控えたグループ子会社の未公開株を売り渡しました。値上がりが確実な未公開株を受け取った政治家が「濡れ手に粟」と強く批判され、政界に広く未公開株を譲渡し、次期総理の順番まで変えてしまった江副は悪の権化のごとく世間の嫉妬を一身に受け、社会的に抹殺されたことが記憶されています。

情報の転用、情報の独占でさらなる成功を収めようとした江副には、リクルートが「プラットフォーマー」であることに無自覚であったのだろうと感じます。現代のプラットフォーマーであるGoogleには「10の事実」という経営理念を掲げています。その1つに「悪事を働かなくもお金は稼げる(You can make money without doing evil.)」があります。Doing evil、つまり邪悪にふるまうことを戒める項目です。これに対し江副は「邪悪にふるまう」、すなわち法律違反は避けるが「倫理」を軽んじるという印象を受けます。

こうして江副の生み出した社会的価値と、価値を毀損する行動を振り返ると、企業の社会的価値は時代の要請で変わりゆくものである、という印象を強く持ちます。ダイバーシティも自走する組織も、現代であれば多くの会社にロールモデルとされたでしょうが、50年前の日本ではそこまでの価値とみなされませんでした。また情報の転用、インサイダー取引は現代であればそれ自体が信用を失う行動ですが、当時はそれらが問題視されることもなく、よって規制もありませんでした。社会が求める価値は相対的で、世の移ろいによって変わるのであれば、世の流れをしっかり見ることと、流れが変わっても変わらない普遍的な価値観を大事にすることが重要であると、改めて、深く感じます。

参考文献:
・「起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男」 大西康之著 東洋経済新報社 2021年
・リクルートホールディングスHP 「価値創造の歴史」https://recruit-holdings.com/ja/about/history/