いよいよ今月30日に衆議院議員選挙が行われます。大学で政治学を少々かじった筆者はインテグラート入社後も政局の節目にご縁があるようで、麻生政権誕生直後の昨年9月の「インテグラート・インサイト」コラムも担当させていただきました。その中で筆者は『昨日、麻生内閣が発足し、加えて間もなく解散・総選挙があるのではないかと予想されています。』と述べましたが、選挙がここまで先延ばしになるとは、当時どれだけの人が予見できたでしょうか。

少々前置きが長くなりましたが、今回のコラムでは、政治における国民の意思決定装置である「選挙」にスポットを当て、意思決定の品質を決める要素である「合理性と合意性」の観点から、意思決定手段としての選挙の有効性について検証してみたいと思います。

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まず「合理性」から見てみます。選挙は「有権者による投票で票を集めた候補者が当選する」という、一見明快に見える制度でありながら、完全に合理的であるかという点では、以下のように残念ながら昔からさまざまな疑問が提示されているのもまた事実です。

学問的な主張としては、例えば「投票のパラドックス」や、より一般的な社会選択理論で言われている「アローの一般可能性定理」、「センのリベラルパラドックス」など、枚挙にいとまがありません(紙幅の都合上、個々の定理の説明を割愛します。ご興味のある方は各専門書をご参照ください)が、ここでは、選挙プロセスに即して具体的な例を挙げながら説明します。

選挙プロセスは、大まかには「有権者が候補者の中から投票する人物を『決定』する」「票を集計して選挙方式に従って当選者を『決定』する」という二段階の決定から構成されています。仮に、前者の決定を「入口の決定」、後者の決定を「出口の決定」と呼ぶならば、入口・出口のそれぞれにおいて、合理性に照らし合わせて留意しなければならない点がいくつかあります。

「入口の決定」においては、有権者が投票する人物を決定する基準の問題があります。厳密には二種類の問題があり、一つは個人レベルの問題であり、「外交・安全保障の面ではA候補がいいけど、経済政策ではB候補だなぁ」というように、分野ごとに候補者の好みの順序が異なる場合でも、(一人一票の方式なら)無理やり投票先を一本に絞らなければいけないという問題です。もう一つは集団レベルの問題であり、各有権者が投票先を決定する基準、つまり争点がバラバラなために、それらの総和が「集団の意思」とみなすことが難しい(=国民の意思が投票結果に伝わらない)という問題です(注1)。

「出口の決定」においては、選挙制度の違いによる結果のバラツキの問題があります(注2)。現在の衆議院選挙は小選挙区比例代表並立制で行われており、有権者は二票持ち、小選挙区(全国300選挙区ごとに最多得票者1名が当選)で候補者個人に、比例代表(全国11ブロックごとに得票数に応じてドント式で政党に当選者数を割当て)で政党に、各一票投じます。4年前に行われた前回の衆議院選挙の東京都での投票結果を題材に、選挙制度によって結果がいかに異なるかを見ていきます(注3)。

前回選挙、いわゆる「郵政選挙」は自民党の歴史的圧勝に終わりましたが、それを最も端的に示しているのが東京都の結果です。25ある小選挙区のうち、与党(自民党・公明党)が勝利した選挙区は実に24で、野党その他はわずか1選挙区でしか小選挙区で議席を獲得することができませんでした。しかし25小選挙区全体の得票率でみると、与党51.6%、野党その他48.4%であり、差はたった3.2%しかありません。多数派の声を過大評価する小選挙区制度の一面が如実に表れています。事実、比例代表東京ブロックでは与党52.6%、野党その他47.4%と与党の得票率が小選挙区を僅かながら上回っているのにも関わらず、獲得議席数は与党9議席、野党その他8議席と得票率に近い議席配分数となっています。ちなみに、仮に小選挙区導入前の中選挙区の区割りで選挙が行われていた場合をシミュレーションしてみたのですが、小選挙区と同じ得票状況であっても、与党15議席、野党10議席となり、小選挙区と(大選挙区に近い意味合いを持つ)比例代表の中間の結果となりました。興味深いというか驚くべきことに、有権者の支持はまったく同じにも関わらず、選挙制度によってその結果は大きく異なるわけです。

このように、出入口での決定に関する問題に鑑みると、あらゆる面で完全に合理的な選挙制度というのはどうやらなさそうです。

「合理性」の観点ではさまざまな問題のある選挙ですが、では次に「合意性(プロセスの透明性、コミットメントなど)」の面から見てみましょう。プロセスの透明性という点については、少なくとも現在の日本の選挙制度は、仕組みが多少複雑であるものの、(無効票に関する扱いがごく稀に議論になる他は)当選者決定プロセスには属人的な要素が極力排除されており、透明性はかなり高いと言えます。そしてコミットメント、つまり選挙に対する国民の関与・責務度合ですが、4年前の前回選挙後に「明るい選挙推進協会」が実施した意識調査によると、56.1%の人が「投票することは国民の義務である」、22.2%の人が「投票することは、国民の権利であるが、棄権すべきではない」と回答しており、両者を合わせて約8割の人が(自発的または強制的を問わず)選挙に参加することを当然と考えているようです(その他、20.2%の人が「投票する、しないは個人の自由である」と回答)。これらの点を踏まえると、合意性の面では、意思決定手段として選挙は有効に機能している制度であると言えるでしょう。

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以上に見てきましたように、「合理性と合意性」の観点から選挙を評価すると、合理性の点では限界がある分、高い合意性で有効性をカバーをしているととらえることができます。
今年2月の「インテグラート・インサイト」コラム(http://www.integratto.co.jp/column/034/)で筆者は『日本型の意思決定プロセスは合意性をかなり重んじたものである』と述べましたが、選挙制度についてもそのような意思決定プロセスの特徴が表れていると言えます。しかし、近年の投票率低下傾向を見ると、最近は高い合意性に陰りが見られるようにも感じられます。今後も選挙が高品質の意思決定手段であり続けるためには、選挙の有効性の源泉が合理性よりはむしろ合意性にあることを一人一人が認識したうえで、選挙に対する意義を感じて積極的に参画していく姿勢を育んでいく必要があるのではないでしょうか。

(楠井 悠平)

(注1)逆に有権者間で争点が揃っていたと考えられる場合には、争点に対する国民の判断が選挙結果に反映された(=国民の意思が体現された)という限りにおいて、選挙制度の合理性が機能したと見ることができます。(例:4年前の郵政選挙や消費税導入期の社会党躍進)

(注2)選挙制度に関する問題点としては、本コラムに挙げた問題のほか、「一票の格差」と言われる憲法上の不平等問題があります。こちらも、最高裁で違憲判決が出るなど、合理性あるいは合意性に関わる重要な問題です。

(注3)調査方法:東京都選挙管理委員会のWebサイトより、投票結果を参照。また、中選挙区の区割りによるシミュレーションでは、旧中選挙区/現行小選挙区 市区町村別対照表に従って、都選管サイトから得られる各自治体別の投票結果を旧中選挙区(第40回選挙)の区割りに集計し直し、選挙区内ではドント方式で議席を配分し、また、旧中選挙区(第40回選挙)での東京ブロックの定員は合計43名のため、コラム本文では獲得議席数を25名に比例換算した数値を掲載しています。
<参考Webサイト>
http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/senkyo/taisyo/taisyo.htm
なお言うまでもありませんが、選挙制度の違いによって各政党の候補者擁立戦略は当然異なるため、本コラムで行っているような選挙制度シミュレーションによる結果の相違には、候補者擁立戦略の違いによる影響が多分に含まれている点には十分注意を要します。