政権交代が実現し、鳩山民主党内閣が成立してから1ヶ月余りが経過しました。メディアは各省の大臣が発信した政策方針変更について賑やかに報じています。今回のコラムでは、この政権が「国民との約束」と位置づけている民主党のマニフェストから、個別政策の是非を論じるのではなく、意思決定の仕組みの変革に関する項目を取り上げ、自民党政権時代と比較しながら、どのような意思決定システムへ変えようとしているのかについて考察してみたいと思います。

 民主党のマニフェストを見ると、「鳩山政権の政権構想」として、5策が提示されていますが、そのうちの3つの策が施政方針および政策意思決定の仕組みの変化にかかわるものです。
(1)政務三役(大臣・副大臣・政務官)による政策立案・調整
マニフェストでは、「政府に大臣、副大臣、政務官(以上、政務三役)、大臣補佐官などの国会議員約100人を配置し、政務三役を中心に政治主導で政策を立案、調整、決定する。」とあります。いわゆる「政治主導による政策立案」と呼ばれているものです。官僚主導ではなく、政治家が主導して政策立案の意思決定権を握るというものです。

(2)省庁間の横の連携の重視:閣僚委員会による省庁間にわたる政策課題の調整
マニフェストでは「各大臣は、各省の長としての役割と同時に、内閣の一員としての役割を重視する。『閣僚委員会』の活用により、閣僚を先頭に政治家自ら困難な課題を調整する」とあります。これも政治家主導での意思決定という行為者の変更を強調している面もありますが、意思決定の仕組みの面で注目すべきは、省庁間にまたがる、あるいは省庁間で利害が対立する政策候補について、閣僚間で調整し、意思決定するという点です。

(3)国家戦略局による国家ビジョンの策定
マニフェストには「官邸機能を強化し、総理直属の「国家戦略局」を設置し、官民の優秀な人材を結集して、新時代の国家ビジョンを創り、政治主導で予算の骨格を策定する」とあります。国家ビジョンと戦略を首相官邸直属の国家戦略局が策定し、そのビジョン・戦略に沿った予算策定を行うという、トップダウン型の意思決定の仕組みを作ろうとしています。

それでは、上記(1)から(3)について、以前の自民党政権時代はどうだったのでしょうか?これらの意思決定の仕組みの実態や特徴について述べた文献を元に、今までの施政方針および政策意思決定の仕組みがどうであったか見ていきたいと思います。

(1)政策立案・調整
 政治学者の山口二郎氏はイギリスと自民党政権時代の日本の政治家と官僚との関係性を比較して、イギリスの関係性モデルを「下降型」、日本の関係性モデルを「上昇型」と定義しています。前者は内閣に政権与党の有力な幹部や指導者を結集し、内閣からのトップダウンで政策立案の意思決定を行うことを志向しています。対して後者の日本では、内閣はそれ自体が政策意思決定を行う場ではなく、実質的な政策立案は各省庁の官僚により行われ、内閣はそれらを形式的に最終決定する場としてのみ機能していたと分析しています。
 この日本の政治家による内閣と官僚による各省庁との関係性の問題点は、政策立案意思決定の当事者の所在があいまいになることです。本来の省庁トップである内閣の閣僚は意思決定の当事者ではなく、匿名性を担保した各省庁の官僚によって政策立案がなされることによって、政策意思決定の責任所在が不明瞭となり、また政策立案のプロセスと根拠が明示されなくなるといった問題が起こっていました。これに対し、民主党が志向しているのは明らかにイギリスの下降型=トップダウン型の意思決定モデルであると言えるでしょう。

(2)省庁間にわたる政策課題の調整
 山口氏の定義による自民党政権時代の「上昇型」=ボトムアップ型の意思決定では、各省庁が自分の政策立案事業領域の中で最適な政策を立案し、それを単純合算したものが国家予算や、緊急経済対策といった政策パッケージとなりました。政策パッケージ全体を調整し、全体最適を目指すという意思決定スタイルは存在していませんでした。山口氏はこれを「部分的最適化の政策形成」とし、部分的最適を合算すれば国益の達成=全体最適となるという予定調和型の発想であると分析しています。同様の指摘は、江田五月氏(現参議院議長)が自民党政権が強い力を持っていた1985年に書いた著書でも見受けられます。江田氏は、特定の団体と結びついたいわゆる「族議員」と呼ばれる自民党議員が各省庁と部分的利益を追求した政策立案を行うことの問題点として、これを取り上げています。
 部分的最適化による政策意思決定スタイルは、国民が等しく受益者となるような政策意思決定が多くなされた高度成長期においては、「所得倍増」や「国土の均衡ある発展」といったスローガンのもと、部分的最適の政策の合算がほぼ全体最適となるため、有効に機能しました。しかし、国民にマイナスの効果をもたらす増税や受益額削減などの政策が必要とされる1990年代以降の日本政治においては、資源配分の均等感の低下と、(1)で述べた政策意思決定の所在の不明瞭さもあいまって、国民の政治に対する不満を煽る結果となりました。

(3)国家ビジョンの策定
 自民党政権時代には、個別の政策の構想や理念の前提となる、国家の基本理念を明確に提示する点については、いずれの政権も行っていなかったといえます。個別の政策方向性は明示できても、それを実施することでどのような社会、国家を目指すのかという大局的な方向性がないまま、自民党政権による国家運営が行われた結果、国家の未来像が見えない状態に陥ったことも、今回の政権交代の遠因ではないでしょうか。 反面、国家ビジョンの枠組みがないまま個別の政策を意思決定することは、基本理念のベクトルがまったく異なるもの同士が、交渉や妥協によって政策立案と意思決定を行うことを可能にしたともいえます。自民党政権時代には、同一の政党でありながらも基本理念が異なる人や集団が並存して政権運営にあたっていました。これは、政策立案と意思決定の面では多くの層の意見を吸収できる仕組みとして機能していたというプラスの側面があるといえます。逆に言えば、今後民主党政権が国家ビジョンを明確にして個別の政策立案の概念を提示するプロセスとした場合、基本理念の異なる集団は、政権担当者との交渉や妥協の余地がなくなることから政策意思決定に全く関われなくなる事態が起こることも予想されます。

民主党のマニフェストと自民党政権時代の意思決定システムの違いについて述べてきましたが、総じて見ると、民主党政権は、政策意思決定プロセスの透明性と俯瞰性を高めようと志向していると言えます。政策立案・調整の面では政策立案に関わる人間を集約し、一元的な政策意思決定プロセスを構築し、透明性を高めようとしています。また、政策全体の最適化を図ることを志向し、全体最適化の視点の基盤となる国家ビジョン=基本理念を明示しようとしています。
 しかし、意思決定プロセスの透明性が高まり、政策決定という結果にいたるプロセスが可視化されても、その政策をもって何を目指すかが明確でない、政策の方向性が欠如している場合、再び政策決定=投資配分の決定は部分最適の集合体に陥ってしまうことが想定されます。マニフェストに記載された3つの策の中で、現時点でもっとも進捗が遅れているように見うけられる「国家ビジョンの策定」がこの政権の成否を握るKSF(Key Success Factor)となるのではと思われます。また、仮に国家ビジョンが明示され、それを基にした政策意思決定が行われた場合、(3)で述べたように基本理念が異なる層の意見が汲み取られない、一元的な政策意思決定となる事態が想定されます。これは透明性や分かりやすさは自民党政権時代より増すと思われますが、現時点では自民党以上に基本理念が異なる層を包含しているように見受けられる民主党が、マニフェストどおりの意思決定プロセスを構築できるのか、今後の推移が興味深いところです。

(井上 淳)

<参考資料・文献>
「民主党の政権政策 Manifesto」 民主党ホームページより
「政権交代論」山口二郎、岩波新書、2009年
「戦後政治の崩壊」山口二郎、岩波新書、2004年
「国会議員」江田五月、講談社現代新書、1985年