インテグラートは、研究開発・設備・新事業・M&A等の事業投資の成功を支援するソフトウエアとコンサルティング・研修を提供しています。その日々の仕事の中で、難しいと実感する業務の一つは、事業投資の目標設定です。具体的には、投資に対して何%、または、いくらのリターンがあれば成功と定義するか、という問題です。目標設定ですから、基本的には経営陣・責任者が決めることです。しかし、目標を高く設定し過ぎると空回りし、低く設定し過ぎると生産性が下がるといった一般的な問題に加えて、日々の業務よりも期間が長く管理が難しいこと、新たな事業投資にはベンチマーク(比較対象)を見つけにくいこと、案件ごとのリスクの違いが大きいことなどが、事業投資の目標設定を困難にしていると思います。

 事業投資の目標設定の問題は、特に新しい問題ではなく、今までも事業投資評価における割引率の設定など、盛んに議論されていることです。にもかかわらず、この問題をあらためて考えるきっかけになったのは、今年の正月休みに読んだ一冊の本、「HPウェイ」です。

 「HPウェイ」は、アメリカのヒューレット・パッカード社(二人の創業者Hewlett氏とPackard氏の頭文字を取って、通称HPと略されています)の創業者が、創業から世界的な大企業に至るまでの道程を記した書籍です。1939年創業のHP社は、昨年の売上高が約13兆円で、世界最大級のIT企業です。ご存知の方も多いと思いますが、HP社はアメリカ・シリコンバレーの誕生・発展に大きな役割を果たした企業です。例えば、HP社が創業当時使用していたガレージは、「シリコンバレー発祥の地」と名付けられ歴史的記念史跡として保存されています。更に重要なことは、スタンフォード大学の卒業生が、大学で学んだ最先端の知見を基に起業するという、シリコンバレースタイルのさきがけであることです。HP社は、スタンフォード大学との関係がHP社の発展に不可欠であると強く認識し、HP社の利益からスタンフォード大学へ多額の寄付を行っています。その金額の累計は、スタンフォード大学創立に要した金額をはるかに上回る規模になりました。そして、スタンフォード大学が世界中から教員・学生を集め、企業に送り出していくという循環が強化されています。このような、企業と大学の緊密な関係が、シリコンバレーの強さの一因であり、HP社はその礎を築く役割を担いました。「HPウェイ」は、世界的大企業の創業者が、幼少の頃から人生を振り返った、貴重な示唆に富む名著だと思います。

 「HPウェイ」では、HP社が世界的企業に成長する過程で実行した、様々な経営の仕組みが紹介されています。その中で、

 「投資判断の基準は、開発費用の6倍以上の利益が得られることとした」

 という記載がありました。6倍以上?開発費用の6倍以上を利益として回収するとは、途方もなく高い要求水準です。今の日本の事業会社で、投資額の6倍を回収目安にしている会社は、ほとんど存在しないと思います。投資額の6倍を回収するとは、割引率(目標投資収益率)に換算すると、期間を10年とした場合で、30%以上になります。

 現状では、多くの日本企業が、事業投資に対して10%未満の割引率(目標投資収益率)を用いています。HP社との差に嘆息するほかありませんが、事業投資の結果として達成される投資収益率を高める方法は何か無いものでしょうか。事業投資における、計画立案・リスク評価・意思決定・実行管理のそれぞれのプロセスで様々な工夫ができると思いますが、今回は、計画立案時の目標設定について、次の4案を考えてみました。

 まず第1には、目標そのものを高く設定することが考えられます。現在使われている割引率(目標投資収益率)は、結果として達成しなければならない最低水準として設定されていることが多く、いわば着地点目標です。しかし、目標には、重力の法則のように、手を放すと下がっていく性質があります。設定する目標水準が低ければ、個別の投資案件の目標も低い水準に収束します。目標が低ければ、結果として到達する着地点も低くなります。金融の投資ではなく、事業の投資なのですから、まず高い目標を設定し、事業の課題を一つずつ解決して高い成果を達成するプロセスが重要です。

 第2には、高い目標設定を、優れた仕事として評価する仕組みが必要です。決裁基準が投資回収率7%以上のときに、新たなビジネスプラン(事業計画)の目標を例えば投資回収率20%で出そうとすると、おいお前、そんなバカなことは止めておけよ、何の得にもならないぞ、そうですねやっぱり7.5%ぐらいにしておきますか、というようなことがいつでもどこでも起きています。高く目標を設定する動機づけが無いからです。計画立案時の高い目標設定は、優れた仕事であることを明確にし、リスク評価・意思決定のプロセスを経た後でも高い目標が設定される案件には、ヒト・モノ・カネ・時間といった経営資源を優先配分して事業の成功を積極的に支援する、明確な優遇策が必要です。達成された高い結果を優れた業績として評価することも当然です。

 第3には、事業投資のビジネスプラン(事業計画)の目標を高く構想する仕組みを作ることです。高い目標を構想すること自体が、事業の現場で最も難しく最も不足している業務です。解決策は一つではないと思いますが、目標の達成方法を考える前(目標の達成方法を考え始めると、構想が膨らまないので)に、アイデアを大きく膨らませるステップ(内輪の検討会など)を設ける、アイデアを膨らませる担当のスタッフを設ける(リスクを指摘する役割は、別のスタッフ・部署が担う)など、事業アイデアを共有し大きく育てる仕組みが必要です。また、その際には、NPVやIRRのような計算を必要とする評価指標はできるだけ避けて、HP社の例のように、投資額の何倍を回収といった暗算できるぐらい単純な指標が事業担当者間の理解・共有に適していると思います。NPVには、目標管理に適さないという弱点もあります。
「NPVの弱点:インテグラート・インサイトVol. 66コラム」
http://www.integratto.co.jp/column/66/

 最後の第4は、設定した目標に対して、結果がどうだったかを確認する仕組みをしっかりと構築することです。事業投資は、期間が長期に亘るうえに、段階的な投資・意思決定が実行される、費用を配賦しにくいケースがある、など、目標と結果の対比が難しい業務です。しかし、目標と結果の対比が行われていなければ、適切な目標水準はいつまでたってもわからないままです。投資開始から回収まで10年を要する計画であれば、10年間目を離さないわけですから、かなり辛抱強い取り組みとなります。継続して目標と結果を対比している企業は残念ながら少数派で、多くの企業ではNPVやIRRなどの意思決定時の投資評価指標ではなく、P/L項目の結果だけを見ています。これでは、投資回収率が高まるわけがありません。

 より高い目標を設定し、達成に全力を尽くす。当たり前のようで、実行には工夫を要します。皆さんの会社の事業投資では、いかがでしょうか?

(小川 康)

参考文献:
HPウェイ[増補版]、デービッド・パッカード著、依田卓巳訳、海と月社
The HP Way, David Packard, HarperCollins