皆様、はじめまして。2018年4月にコンサルタントとしてインテグラートに入社いたしました、渡邉と申します。

突然ですが、以下の文章をご覧になったことはあるでしょうか。

「友人が猿の実験について話をしてくれた。4匹の猿が部屋の中に入れられた。部屋の中央には高い支柱が置かれ、その先から沢山のバナナがぶら下がっている。1匹の猿はお腹をすかせ、支柱に登ってみる。やっとバナナに手が届いたそのときに突然天井から冷水シャワーが降ってきた。猿は悲鳴を上げバナナを取れずに転落した。他の猿も同じように挑戦するが、冷水を浴びバナナを取ることが出来ない。結局数回のうちにあきらめてしまった。

ここで4匹のうち1匹を他の新しい猿と入れ替える、するとこの何も知らない猿は勿論登ろうとする。しかしその瞬間他の3匹に飛びつかれて登ることが出来ない。「支柱に登るな」と忠告したのである。新入りは登ろうとする度に邪魔され、一結局は諦めてしまった。

一度もシャワーを浴びずにあきらめてしまった。

同様に一匹ずつ新猿と入れ替えて、ついに4匹目が入れ替わった時点で、どの猿も支柱に登ってはいけない本当の理由を知らない。

だが、新猿は支柱に登ることが出来ない。何故なら他の猿に邪魔されるからである。

仲間が引き継いだ前例にならって、忠実に猿は忠告し続けた。

この後シャワーを取り外しても、どの猿も支柱には登ろうとしなかった。」(※1)

以上のサルを対象に行われた実験の話は、なんとなく行われている組織の習慣を見直すよう促すための比喩としてよく引用される文章ですが、なんと実験そのもの実は存在しないらしいです。(引用するために実験条件を確認するために探したところ親となる論文が見つかりませんでした)(※2)(※3)

本当かどうか確認しよう、という教訓の作り話がオリジナルの実験そっちのけでそのまま拡散していくのはなかなか面白い点ですが、今日のポイントは別にあります。

私がここから気になったことは以下の2つです。
1. メッセージを伝えるのに事実は必要ないのではないか。
2. 信頼できる情報とは何なのか。

まず、この実験は存在しなかった場合、このお話に意味は無いのでしょうか?そんなことは無いと思います。この実験の作り話に込められるメッセージはこういったものではないでしょうか。
「自分たちとりまく環境は変わるので、常識を疑って確認することは大切だ」
メッセージはおそらく正しいことを行っているでしょう。更に、実験を装ったことで覚えやすくなり、聞き手は説得されることでしょう。
話し手側の目的は達成され、聞き手も行動が改善し新しい環境に対応できることでしょう。

そして、2つ目。「情報が信頼できるかどうか」は一体どうしたら分かるのでしょう。
最近は、フェイクニュースの存在も話題になり、情報取得には気を配る必要が出てきたようです。
何かを調べる際、多くの方と同じように筆者はインターネットをよく使います。中でも見ることの多いWikipediaにはこのようなページがあります。
「Wikipedia:信頼できる情報源」
非常に長いページですが、情報が信頼できる条件として、
「査読された公表物」「情報を集めた手段を再現あるいは検証できること」「独立した複数ソースで同じことを言っている」など、信頼できる情報の条件をいくつか条件を挙げています。

筆者が大学で研究をしていた頃は、何気ないことでも情報のソースを辿らないと不安になることがありました。
「~っていうニュースがあって」と言われると「出典は?」と確かめていたことはよくありました。
さて、Wikipediaで情報の確かさを確認する方法が分かった今、どうやって生きていけばいいのでしょう。すべて一次情報を探し、裏を取らないと生きていけないのでしょうか。

情報が確かかどうか常に調べるには一つ問題があります。
真実かどうか確認する作業には、労力がかかります。フェイクニュースを確認している機関が存在しますが、一人の社員がある記事をフェイクであることを示せるのは一日一記事程度だそうです。(※4)

そんな玉石混交の世の中で生きていくには優先順位をつければ良いのです。間違っていたら自分にインパクトの大きいところから確認していけばいいのです。筆者は今でも何かを調べたくなったとき以下のことを考えます。
1. その情報が真実であるかどうかが行動に影響を与えるか、
2. 与えるとしたら、それが誤情報だったときの問題の程度は調べるためにかかるコストより大きいか。

例えば、
ケース1
商品を開発している際、正常に動作するのに必要なスペックを決定しなければいけない。
1. 必要なスペックの値は、購入する材料に影響する。
2. 間違った材料を購入すると非常に大きなコストになる。
>この場合は関連する論文を探し、複数の論文で一貫性のあるデータが書かれていることを確認。

ケース2
頭痛がしたとき、症状を入力し検索したところ、XX病という聞き慣れない病名が出てきた。
1. 検索結果が真実の場合、自分では対処できないので病院に行く。
2. 間違った判断をした場合は健康に外が及びそう。
>しっかり時間をかけて調べるのが良さそうでしょう。しかしこんなときは1時間も検索に時間を使う前にこんなときは第三の選択肢です。
「病院に行き診断してもらう」というのも考えるのではないでしょうか?結局病院に行ってなにもない場合は1000円くらいのものでしょう。ローコストによりよい結果をもたらす選択肢を見つけるというのも現実にはよくありますね。

日々私達は知らず知らずのうちに情報の感度分析を行い、時間というコストを無意識に最適配分しているのだな、ということがわかります。

最後に、もしもオリの中の猿だったらどうすべきだったのか考えてみましょう。

バナナはほしいが梯子に登ろうとすると仲間に登るな、良くないことが起こると言われた。
1. バナナが取れなかった場合、今日の午後いっぱいお腹をすかしていることになる。。
2. バナナを取らなかった場合は大きく後悔する可能性がある。良くないことがバナナ以上に大きな問題の場合困る。
ここで猿は自分の置かれた環境を調べ直して何が起こるのか予測するでしょう。手始めにできそうなのは良くないこととは何だったのか他の猿に質問する。すると他の猿からは問題がありそうな理由は一つも出てこない、どうも「バナナをとりに行っても良さそう」ということがわかります。リスクテイク型の猿だったらここで梯子に登って無事にバナナを獲得できたことでしょう。

時には感覚に逆らって、今まで本当だと思っていた情報ソースを疑って、なぜそう書かれているのか探ってみては如何でしょうか。もしかしたら取れないと思っていたバナナが取れるかもしれません。

(渡邉 修)

(※1)出典:コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略 (日経ビジネス人文庫) 文庫 – 2001/1/1 (ゲイリー・ハメル ら) P84~

(※2)似ているものはあって、G.R. Stephenson called Cultural Acquisition Of A Specific Learned Response Among Rhesus Monkeys (1966)

(※3) 他にもファクトチェックを試みた人がいて、原点を探ってくれています。
http://www.throwcase.com/2014/12/21/that-five-monkeys-and-a-banana-story-is-rubbish/
https://skeptics.stackexchange.com/questions/6828/was-the-experiment-with-five-monkeys-a-ladder-a-banana-and-a-water-spray-condu

(※4)WSJ「フェイスブックの偽ニュース対策、人間では戦えず」2018 年 10 月 19 日 15:44 JST