今年1月、イノベーション研究の第一人者であるクレイトン・クリステンセン教授が67歳で亡くなりました。氏の代表作である「イノベーションのジレンマ」は、日本のビジネスパーソンにとっても馴染み深いものではないでしょうか。
 今月のコラムでは、氏の著作を2つ取り上げ、イノベーションの理論で(インテグラートの支援領域である)事業投資や事業性評価、意思決定の場面においても重要と考えられる筆者なりのポイントをご紹介したいと思います。

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「破壊的イノベーションへ対応する組織」(『イノベーションのジレンマ』より)
 本書では、業界を代表するような大手企業が「技術と市場構造の破壊的変化=破壊的イノベーション」に対して、優れた経営意思決定を行ったが故に失敗してしまうというジレンマ状態をテーマに、その構図と解決法が豊富な事例に基づき解説されています。ここでは、本書のは2つの観点「組織の能力」「発見志向の計画」をご紹介します。

 1つ目の「組織の能力」ですが、本書では「組織で働く人材やその他の資源に関係なく、『プロセス』や『価値基準』によって定まる組織自体の能力というものがある」旨が紹介されています。組織が持つ資源は比較的流動性が高いのに対し、プロセスや価値基準は基本的に組織で一貫性が保たれ変化しないものです。しかし状況が変わると、組織のプロセスや価値基準が状況変化に適用できず無能力に陥ってしまう可能性があります。
 なお、プロセスとは「組織が持つ資源(ヒト・モノ・カネ・情報など)をどのように商品やサービスに変換して価値を生み出すか」を定義するもので、研究開発・調達生産・販売マーケだけでなく、予算編成や事業計画策定、人材育成・人事評価なども含まれます。明文化され意識的に守られている正式なプロセスだけでなく、時間をかけて無意識のうちに定着しているいわば組織文化のような非公式なプロセスもあります。また価値基準とは「組織の経営者や従業員が仕事の優先順位を決めるときの基準」であり、あらゆるビジネスの現場で日常的に行われる決定の際のよりどころとなります。コスト構造や事業規模を反映した財務的基準もあれば、倫理的な色合いの濃いもの(例:製薬会社が患者さんの健康を守る観点での決定)もあります。

 2つ目の「発見志向の計画」(注1)ですが、本書ではまず「破壊的技術を追求するための適切な市場と正しい戦略は事前にはわからない」という認識を踏まえた上で、「実行するための計画というより、学習し発見するための計画を打ち出す」と紹介されています。市場環境が既知の既存事業では、十分な調査に基づく正確な収益率予測から詳細な企画や予算を立てて管理する製品開発や販売が可能となります。一方で、市場のことがほとんどわからない(現時点ではまだ存在しない)場合には、現時点での自分たちの戦略や予測は外れる可能性があることを想定して、仮定を立てて事業計画や目標を立てるマネジメントが有効です。どこに市場があるかわからないとしたら、新しい市場に関するどのような情報がどのタイミング(順序)で必要なのか、を見極め、カギとなる情報を得て重要な不明点を解決してから資源を投入することになります。本書では、その例としてホンダが北米オートバイ業界へ進出したケース(当初は長距離用の大型バイク販売を重視し苦戦していたが小型バイク需要に着目し成功)が取り上げられています。最初は手探りでも様子を見ながら(十分な資源を残しながら)始め、仮定が正しいか誤っているかが確認できた段階で計画変更しながら進めていくアプローチです。本書では「事業の失敗とは、当初の計画が正確でなかった場合ではなく、試行錯誤を繰り返して適切な戦略を見つける前に資源や信頼を失った場合だ」と論じられています。

 ここまでの内容から、企業が新規事業を担う組織際の注意点が類推されます。それは、新規事業の組織には、それにふさわしいと思われる資源を割り当てることだけでは不十分で、プロセスや価値基準を既存事業とは別のものにしないと適切に機能しない恐れがある、ということです。えてして大企業では、新規事業で成功するだけの資源は豊富にあったとしても、新規事業の組織に適用しているプロセスや価値基準がふさわしくない(既存事業のものと同様である)結果として、変化の激しい市場環境に対応できずになかなか成果が出ない、ということがあるのではないのでしょうか。そしてプロセスの中でも特に事業計画を策定意思決定し実行していく過程では、「発見志向の計画」を実践する必要があると言えるでしょう。

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「カギはプル戦略の市場創造型イノベーションにあり」(『繁栄のパラドクス』より)
 本書は2019年に共著で出版された氏の最新刊です。現在も世界各地に見られる貧困に対して、それを解決しようと策を講じても長期的な繁栄(多くの地域住民が経済的、社会的、政治的な幸福度を向上させていくプロセス)にはつながらない状態をパラドクスと呼び、その解決策としての「市場創造型イノベーション」について、数多くの事例を基にそのメカニズムや効果を挙げています。この市場創造型イノベーションとは「高機能で高価なプロダクト/サービスをシンプルで安価なプロダクトに変換し、新しい市場を創造する」ことを指しています。なお、市場創造型イノベーションの対比としては持続型イノベーション(市場にすでに存在する解決策の改良)および効率化イノベーション(企業がより少ない資源でより多くのことをおこなえるようにするイノベーション)が位置付けられていますが、共に新たな市場や雇用の開拓増加にはつながらない点が指摘されています。

 市場創造型イノベーションが繁栄へとつながる仕組みとして、本書では「プッシュ戦略とプル戦略」の対比が紹介されています。プッシュ戦略とは、貧困は資源不足に起因するものとして、豊かな地域から資源を投下(プッシュ)することで問題解決を図ろうとするアプローチです。いわゆる富裕国と同様のインフラや制度を整備すれば発展につながるという考えで、一時的には成功したように見えても成果がなかなか定着しないことが指摘されています。本書では事例の一つとして、共著者の一人が立ち上げたNPOでの途上国向け井戸建設事業が挙がっています(井戸を建設しても、その後故障が発生し修理が困難だと結局使われない)。

 一方で市場創造型イノベーションが採るプル戦略とは、イノベーションを進める過程で、必要とする資源を引き入れ(=プルする)ていくアプローチです。まずは、市場の創造や市場ニーズの見極めに集中します。特に貧困地域での不便な点を、潜在的な消費者が生活を進歩させたいと願いながらもこれまでプロダクト/サービスを購入し消費することができなかった『無消費』の表れととらえ、無消費のなかに市場を創造するチャンスを見出すことに取り組みます。その後で、市場の存続に必要な資源を引き入れていくことになります。市場の創造を踏まえ、その存続のためのインフラや教育、機構などを半ば自力で整え、結果として地域に雇用や利益がもたらされ、さらには文化的変容(本書では一例として腐敗の低減)にもつながることが本書では提示されています。この市場創造型イノベーションはいわば触媒の役割を果たすものであり、雇用や利益を生み出す仕組みは一企業のものにとどまらず地域全体の基盤となるため、新たなイノベーションが創出される文化を地域に形成し貧困から持続的な経済発展につながっていくことが期待されます。

 このようなプル戦略のアプローチ、つまり課題に対して「直接的な対処療法で済ますのではなく」「枠組みを構築することで次の成功を生み出しやすくする」という視点は、広く事業戦略を考える上でも有効なものではないでしょうか。

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 以上、今回のコラムでは氏の2著作を取り上げましたが、他にもイノベーション投資の促進のために重要な方法論を取り上げたハーバード・ビジネス・レビュー掲載論文「財務分析がイノベーションを殺す」など、イノベーションを軸に企業や社会の成長に不可欠な要素を鋭く指摘した著作がいくつもあります。この機会に、読者の皆様も改めて氏の言葉を振り返ってみて皆様なりの学びとしてみてはいかがでしょうか。最後に、氏のハーバード・ビジネススクールでの最終講義をまとめた書籍『イノベーション・オブ・ライフ』から筆者の印象に残る以下の言葉を紹介します。
『大切な人との関係に実りをもたらすには、それが必要になるずっと前から投資をするしか方法はないのだ。』

(楠井 悠平)

(注1)日本語版では「発見志向の計画」と訳されていますが、原著では”discovery-driven planning”の表現も見られ、弊社が基礎としている方法論「仮説指向計画法」を指し示しています。原著の参考文献にも、仮説指向計画法の提唱者であるイアン・マクミラン/リタ・マグラス両氏の論文(1995年7-8月号のハーバード・ビジネス・レビュー)が挙げられています。

(参考文献)
クレイトン・クリステンセン著、玉田俊平太監修/伊豆原弓訳『イノベーションのジレンマ―技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』増補改訂版(翔泳社、2001)
クレイトン・クリステンセン他著、依田光江訳『繁栄のパラドクス―絶望を希望に変えるイノベーションの経済学』(ハーパーコリンズ・ジャパン、2019)
クレイトン・クリステンセン他著、櫻井祐子訳『イノベーション・オブ・ライフ―ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ』(翔泳社、2012)