前回(2019年6月)に筆者が執筆したコラム「どう伝える?正しい意思決定のための伝え方」で認知心理学の中の意思決定に関わる研究についてご紹介し、その1つとしてフレーミング効果をご紹介しました。選択肢の表現の違いが選択に影響する現象をフレーミング効果と呼び、「アメリカで600人の死者が予想される珍しい伝染病の流行に備えているとする。伝染病の流行に対処するため、提示された2つの方策から1つを選ぶ」という実験で、損失を回避しようとして合理的ではない選択を行うバイアスをご紹介しました。

 今回の新型コロナウイルスではティッシュやトイレットペーパーが買えないといった事象が多くみられますが、これもまた「日常の生活ができなくなるかも」という損失を回避しようとして、結果的に買い占めという不合理な行動が集積した結果と言えます。

 このような不合理な行動はなぜ起こってしまうのでしょうか?今回のコラムでは不合理な行動を起こしてしまう要因について、行動経済学のアプローチから解説したダン・アリエリー著「予想どおりに不合理 行動経済学が明かす『あなたがそれを選ぶわけ』」からその要因のいくつかをご紹介しながら考えてみたいと思います。

●「選択できる扉を残しておく」選択肢の幅は広く持ち続けるべきか?
 本書ではさまざまな実験で不合理な行動が起こりうることを説明していますが、ここでは複数の選択肢が不合理な行動を引き起こす現象を明らかにするため「扉ゲーム実験」を行っています。

(実験1)PC上のゲームで、3つある扉のいずれかをクリックして部屋に入り、クリックすると賞金が得られるゲームです。開いた扉により賞金額は一定の幅で変動するので、毎回の賞金額は一定ではありません。また、違う扉への移動は可能です。

 この場合、参加者は最も賞金が多く得られそうな扉を見定めてそこに集中してクリックしました。

(実験2)次に、このゲームに1つルールを加えました。12回連続してクリックされない扉は消えてしまう、というルールです。

 このルールが追加されると、参加者はそれぞれの扉を開けてもらえる賞金を確認するも、ひょっとしたらあっちの部屋の方がいいかも、という心配が増え、扉を消さないようにあちこちの部屋の移動をし、実験1より獲得賞金額が15%減ってしまいました。
 さらにルールを追加して違う部屋に移動するのに費用がかかっても、各扉の賞金総額をあらかじめ教えても、同じように、すべての扉を開けられるようにすることに注力する結果でした。

 この結果から、選択肢を失われることを回避することが利潤を最大化することを上回る行動の要因となり、合理的な行動を妨げるのではないかと考えられます。著者も「『決断しないことによる影響』を考えよう」、つまり選択肢を決めきれずに決断が遅れることでデメリットが生じると本書で述べていますが、今ある選択肢の中から1つに絞り、集中する「選択と集中」が、結果的にリターンを高めることにつながることを示唆しています。

●「価格によるプラセボ効果」価格が高いと効果も高い?
 プラセボとは「私を喜ばせる」という意味のラテン語から来た、薬理作用のない、つまり効き目のない薬、偽薬を指す言葉です。本書では効き目のない薬でも効果が表れるプラセボ効果の要因として、価格を想定し、次のような実験をしました。

(実験1)偽薬を飲ませる前にその薬のパンフレットを参加者に読ませました。そこにはこの薬が1錠で2.5ドルする痛み止めであると書いてありました。薬は実はビタミン剤で、参加者は電気刺激による痛みの軽減度合いを薬を飲む前後で比較し、薬の効果を測りました

(実験2)同じ手順で実験を行いましたが、今回はパンフレットに1錠10セントと書いてありました。
 実験2では、実験1に比べ、薬を飲んだ後に痛みが軽減したと答えた人は半分に減りました。もちろん薬はビタミン剤ですのでいずれの実験でも痛みを止める効き目はありません。

 この結果は、価格が高いほうが効果は高いと思い込む、また逆に、値引きされたものを見ると、直観的に品質が劣っていると思い込む傾向があることを示しています。
 他の判断材料がない、あるいはあってもよく分からない場合、価格が高いことが効果があるだろうと期待、誤解して高いほうを評価する、これが価格のプラセボ効果であると著者は説明しています。確かに、価格が高いことが一種の安心感につながるということですが、提供する、売る側がこれを悪用すると、買い手は不信感を強めるのではないでしょうか。

●「信用するか、しないか」信用が全体に与える影響
 ある共有の牧草地では飼育できる家畜の数に上限を設け、飼育するのに必要な牧草量を確保することで、農夫たちがそれぞれ十分に家畜を飼育できるようにしていました。ところが、その中の貪欲な農夫が自分の利益を拡大するためにこの上限ルール以上の家畜を飼うようになりました。それによって家畜1頭当たりの牧草の量は減って、結果的に貪欲な農夫も含め、すべての農夫が損をするようになりました。

 これが本書で触れられている「共有地の悲劇」という中世イングランドの寓話です。これは持続的な利益をもたらすための制約ルールが、短期的な利益拡大を狙う輩に破られ、相互不信になり、結果として持続的な利益が得られなくなることを表しています。本書ではこれを「公共財ゲーム」という思考実験で証明しています。

(思考実験)4人の参加者に10ドルずつ渡し、その中で好きな金額を「共同基金」に出資できる。共同基金は4人から集めたお金の合計を2倍した金額を4人に均等に配当する。
 この場合、全員10ドルずつ出資すれば、配当は全員10ドル×4人×2倍÷4の20ドルもらえます。
 ところが、この中の1人だけが全く出資しませんでした。この場合、配当は10ドル×3人×2倍÷4の15ドルになります。全く出資しなかった1人は手元の10ドルに加え15ドル儲けて合計25ドルを得ますが、他の3人は10ドル出資して5ドルしか儲けがないことで、誰かが自分より少なく出資し、ただ乗りしていることに気づきます。
 こうなると残りの3人もただ乗りを警戒し、手持ちの全額は出資しなくなります。出資すれば倍になるのは分かっているのでより多く出資するほうが合理的ですが、誰かより少なく出資することで他の人の儲けを奪おうとする行動に終始し、少しずつ出資額は減り、配当も減っていき、最終的には4人とも最初の10ドルに戻ってしまいます。

 信用、信頼はそのコミュニティの参加者が意識して守り、長い目で育てることをしないと、信用のない行動の集積はすべての参加者にとって長期的なマイナスの影響をもたらすことを意味しています。これは企業活動においても同様で、小さな不信が集積すると、その企業のみならずその企業が属する業界全体の信用を損ない、全体の利益を引き下げます。

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 行動経済学は、人がどのように行動すべきかではなく、不合理な判断、行動はありうるという前提のもと、実際にどのように行動するかにもとづき、それにどう対処するか考えたほうがはるかに理にかなっている、という考え方を基礎にしています。これは、わたしたちインテグラートが依拠する方法論である仮説指向計画法の「仮説は外れるものである」という前提と、「外れを確認してそれにどう対処するかを計画的に考えよう」というマイルストン計画法の考え方に類似しています。
 仮説は、その時点では合理的で、正しいと思っていても、外的・内的環境の変化に伴い外れてくるものである、ということであり、仮説自体が不合理であるというわけではありません。
しかし、仮説を設定するのは不合理な行動をとりうる”人間”であり、正しいと思って設定した仮説に不合理な考えが紛れ込むことによって、仮説が外れてしまうこともあるでしょう。

 本書の結びにも「いつどこでまちがった決断をする恐れがあるかを理解しておけば、もっと慎重になって、決断を見直すように努力することもできるし、科学技術を使ってこの生まれながらの弱点を克服することもできる」とあるように、不合理な判断、行動を引き起こす要因を理解しておくことが、仮説やそれに基づく判断、意思決定の質を見極め、判断を見直す是非を考えるきっかけになると考えます。

 今回の新型コロナウイルスのように状況が刻々と変化する場合は、不合理な判断、行動が起こりやすいことを踏まえた上で、頻繁に判断を見直すことがより合理的です。状況に対応した合理的な行動の集積によって、この世界的な異変が1日も早く収束することを願います。
(井上 淳)

出典:ダン・アリエリー「予想通りに不合理 行動経済学が明かす『あなたがそれを選ぶわけ』」早川書房