私たちのお客様は事業投資計画をマネジメントに説明する立場の方が多くいらっしゃいます。その方々から受ける質問の中で多いのが、「どのように伝えれば、意思決定者であるマネジメントに正しく意思決定してもらえるのだろうか」という質問です。
 今回のコラムでは、この質問を考える1つのヒントとして、認知心理学の中の意思決定に関わる研究についてご紹介し、情報の出し方の違いによってどのような意思決定の違いを起こすのかについてご紹介し、マネジメントへの伝え方の上で注意すべき点について考えてみたいと思います。

 認知心理学とは、人間の情報処理のプロセスを明らかにしようという学問で、1960年代以降に発展した比較的新しい学問です。認知心理学の中の意思決定に関する研究では、2つのアプローチとして、規範的理論と記述的理論があります。規範的理論は、最適で合理的な選択をどのように行うべきかを考える理論に対し、記述的理論は、人間が実際にどのような選択を行うか理解するための理論です。

 規範的理論として有名なのは期待効用理論です。期待効用理論は、個々の選択肢の期待価値を計算し、期待価値が最も高い選択肢を選ぶことが合理的である、という考え方です。この期待効用理論に基づいた意思決定を支援するアプローチの1つがデシジョンツリーを使った分析(決定分析)です。(※1) しかし、人は常に期待価値で物事を決めるとは限りません。このことを証明した例として有名なのがフランスの経済学者モーリス・アレが実験して示した「アレのパラドックス」です。この例では、2回のくじを選ぶ場面を設定します。

■1回目のくじの選択
オプションA:確実に1000万円もらう
オプションB:89%の確率で1000万円、10%の確率で5000万円もらい、1%の確率で何ももらえない

■2回目のくじの選択
オプションC:11%の確率で1000万もらい、89%の確率で何ももらえない
オプションD:10%の確率で5000万もらい、90%の確率で何ももらえない

 ほとんどの場合、参加者は1回目のくじではAを選択し、2回目のくじではDを選択しました。1回目のくじにおいては、期待価値の低い方を選択し、2回目のくじにおいては、期待価値が大きい方を選択したのです。この実験は何度も繰り返されたが、全て同じ結果になりました。
 アレのパラドックスは期待効用理論に反する結果ですが、なぜ人はそのような合理的ではない選択をするのでしょうか?この実験から得られる推論は「客観的に算出して得られる期待効用と、人が実際に感じる価値は異なる」と考えられます。では、どのような場合にこの差異は生まれるのでしょうか?これを明らかにするのが記述的理論です。この記述的理論の実験結果をいくつかご紹介しましょう。

<得するより損することに敏感:フレーミング効果>
 この実験もアレのパラドックスと同じように、2回に分けてそれぞれ2つの選択肢を提示し、選ばせる実験です。
■前提:
「アメリカで600人の死者が予想される珍しい伝染病の流行に備えているとする。伝染病の流行に対処するため、2つの方策が提示された。」
■1回目の選択肢
・対策Aが採用されれば、200人助かるだろう
・対策Bが採用されれば、確率1/3で600人助かり、確率2/3で誰も助からないだろう

■2回目の選択肢
・対策Cが採用されれば、400人が死亡するだろう
・対策Dが採用されれば、確率1/3で誰も死亡せず、確率2/3で600人死亡するだろう

 実験の結果、1回目の選択肢に対しては70%の回答者がAを選択し、2回目の選択肢では80%の回答者がDを選択しました。
 1回目の選択肢では多くの回答者が確実に助かるという利得を得ようとしてAを選択し、誰も助からないという最大損失の可能性のあるBの選択を回避しようとしました。2回目の選択肢では、死亡する、すなわち損失の枠組みで表現されているので、多くの回答者は全く損失のない可能性があるDを選択しました。既にお気づきの通り、対策Aと対策C、対策Bと対策Dは同じ内容です。また、期待値で考えるとA=B、C=Dです。この損失に関わる選択肢の表現の違いが選択に影響する現象をフレーミング効果と呼びます。

<経験によるバイアス:ヒューリスティックス>
 ヒューリスティックスとは、経験則に基づく判断方法のことです。いわば意思決定の簡便法とも言え、私たちは日常生活の多くで経験に基づく予測や判断を行っていますが、これらは合理性の欠落や逆行する方向に関与するバイアスとなる場合があります。代表的なヒューリスティックによるバイアスとして「基準比率の無視」をご紹介します。

・基準比率の無視
 「70人の弁護士と30人のエンジニアの集団から1人選んだ」という前提を与えた上で、「その1人は内向的で注意深い性格であり、政治問題には関心がなく、数学の問題を好む」という情報を与えると、「その1人がエンジニアである確率」を評価させると、90%の確率となりました。このように、特徴を記述的に提示することで、その特徴とどれくらい類似しているかという程度によって判断する方法を「代表性ヒューリスティック」と呼びます。この例では、代表性ヒューリスティックによって、「選ばれた人の人物像」という個別ケースに注意が向いたため、同様の特徴を持つ弁護士がいる可能性については考慮から抜け落ち、その結果基準比率が無視されたことを意味します。

<3つのオプションには意味がある?文脈効果>
 実際のビジネスでの意思決定では評価軸が複数あることが当たり前です。このような複数の評価軸を比較検討して取捨選択を行うことを多属的意思決定と言います。この多属的意思決定でも、伝え方によって意思決定の結果に影響が及ぶ現象(文脈効果)が確認されています。この文脈効果の例を2つご紹介します。

・「間を取る」オプションの効果・妥協効果
 2つの評価軸において対照的な松、梅という2つのオプションがあります。評価軸Xでは松>梅ですが、評価軸Yでは梅>松という場合です。その他の評価軸では松、梅とも同じである前提のもと、XとYの評価軸の中間を取る「竹」をオプションに加えると、竹の選択比率が3つのオプションの中で最大となり、松と梅の選択比率が減少することを「妥協効果」と言います。

・「デコイオプション」で本命オプションの価値を高める・魅力効果
 前項と同様の松、梅の2つのオプションがある状態で、松より2つの評価軸のいずれもやや劣るオプション(松マイナス)を加えると、松の選択比率が増加します。これを「魅力効果」と言い、この松のオプションの魅力を高める松マイナスのオプションを松に対するデコイ(おとり)と呼びます。

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 記述的理論の事例をいくつかご紹介しました。これらから、マネジメントへの伝え方に関する注意点をあげたいと思います。

1)定性的な説明で類似例を引用すると、マネジメントは代表性ヒューリスティックによって類似例と同様の結果を類推しやすいこと
 ビジネスシーンで「このA案件は以前のB案件に近い」という説明をすると、マネジメントは代表性ヒューリスティックを使ってB案件について自分が知っている情報を基にA案件を理解しようとします。本当にB案件と近いことを伝えたいならその方法は有効ですが、違いを理解してもらうのであればB案件を想起させる説明の仕方は避けるべきでしょう。

2)確率の情報は定性的な文脈の前では無視されやすいので表現方法に注意が必要
 同様に代表制ヒューリスティックである基準比率の無視から続く研究では、天気予報の降水確率や打率などの確率表現が日常生活に浸透したのは20世紀後半であり、不確実性やリスクを確率で表現し、共有するには定性的な情報と比べるとまだまだ時間がかかる、という説があります。また、確からしさを伝えるには、確率(30%である)で伝えるよりも頻度(10回のうち3回)で伝えたほうがヒューリスティックスのバイアスを回避しやすいという主張もあります。

3)「間を取る」オプションは採用されやすいこと
 妥協効果で示されたように「足して二で割る」妥協案を作り、そこを落としどころとするのは日本人特有の特性かと思っていましたが、グローバルに通用する考え方のようです。したがって、間を取るオプションを示すと、マネジメントは深い検討なく採用することが多くなることに注意が必要でしょう。評価軸を変えて他のオプションと比較することで、間を取るオプションが本当に正しい選択かどうか検討を深める努力が必要だと言えるでしょう。

4)縮小案がデコイオプションになる場合がありうること
 現行計画以外にオプションが考えにくい場合、投資規模を下げ、評価軸であるリターンも比例して下がると言った縮小オプションを考えることはよくあるでしょう。ただし、現行計画と縮小案を同等に比較したい場合、魅力効果で示されたように縮小案がデコイオプションとなり、現行計画の魅力度を高める引き立て役に留まってしまう可能性があることに注意が必要でしょう。

5)損失やマイナスを回避することにより高い価値を見出すこと
 フレーミング効果は、選択肢の表現を変えたことで「損失の回避により高い価値を置く選好がある」という、シンプルですが根の深い問題を示しています。マネジメントが利益や事業価値がマイナスになるリスクを、プラスをより大きくすることよりも大きく評価するという意味だからです。しかし、これは意思決定者であるマネジメントに限った選好ではなく、立案者である現場も同じはずです。現場で十分リスクを検討したのに、その結果マイナスになってしまうという予測結果を伝えなかったり、表現でごまかしたりするのは本末転倒であり、その結果本当に必要なタイミングや打ち手が得られなくなるリスクを生み出します。これを避けるには、マネジメントをはじめとした組織全体で「悪い情報を早く知らせることには価値がある」「本当のことを共有する」というスタンスを浸透させることが大事ではないでしょうか。

 今回ご紹介した記述的理論の注意点を押さえつつ、最適で合理的な選択を考える規範的理論の双方を確認して、納得感と合理性の双方を満たす意思決定を貴社内でも実践できることを願っています。

(井上 淳)

参考文献:箱田裕司他「認知心理学」、有斐閣、マックスH・ベイザーマン、マーガレットA・ニール「マネジャーのための交渉の認知心理学」、白桃書房
(※1)デシジョンツリーを使った期待価値の算出方法については以下の記事中の「期待的価値を使った評価」の節をご参照ください。
https://www.integratto.co.jp/www/wp-content/themes/integratto/pdf/publication/2017_01_03.pdf