新技術の事業化や製品開発プロジェクトの事業性を評価する場合には、開発リスクの高さ(事業化・製品化の困難さ)を考慮することが欠かせません。開発が成功する場合を想定するだけでなく、意に反して失敗してしまう(狙った性能が発揮できない、コストの低減が達成できない、など)場合も想定して、意思決定を行うわけです。

開発リスクの評価には、インテグラートではデシジョンツリーをよく利用しています。この評価方法を簡単に説明しますと、開発成功・失敗それぞれの場合のNPVを算出し、成功・失敗確率を乗じて、期待値を算出するものです。単純な例ですが、成功の場合NPVが100、失敗の場合NPVが-30であるとき、成功確率が20%(失敗確率が80%)であれば、期待値は 100×20% + (-30)×80% = -4 となります。ここではこの評価法をデシジョンツリー法と呼ぶことにします。

デシジョンツリー法は、特に製薬企業を中心に定着してきているように思われます。また、製造業一般でも、研究開発プロジェクトに対するステージゲート法の利用と共に、次第に利用が多くなってきているようです。また、ペンシルバニア大学マクミラン教授のマイルストン計画法に基づいて、サービス業のビジネスプランにデシジョンツリー法を応用して評価を行っている例も最近拝見しました。

ところで、成功した場合のキャッシュフローに対して、リスクに応じた割引率を用いて事業性を評価する方法も一般的に行われています。例えば、ベンチャーキャピタルは、ベンチャー企業を評価する際には、30%程度の割引率を用いることがあるそうです。デシジョンツリーを用いず、リスクに応じて割引率を修正するこの評価方法を、ここでは伝統的DCF法と呼ぶことにします。

この伝統的DCF法と、デシジョンツリー法を比較するため、ある仮想の開発プロジェクトについて、デシジョンツリー法の評価結果と伝統的DCF法の評価結果が一致した場合に、伝統的DCF法ではどの程度の割引率を用いて評価していたことになるのか試算してみました。

試算手順・条件は以下の通りです。

1.医薬品新薬の開発を想定し、開発期間を11年、回収期間を10年と設定
2.開発リスクに関しては、プロジェクトを5つのステージに分けてそれぞれのステージに成功確率を設定。ちなみに成功確率は、プロジェクトの開始から最終ステージの成功まで、60%、76%、40%、88%、82%で、累計で約13%と設定しました。(※)
3.すべて成功した場合のキャッシュフローと、各開発ステージで失敗(中止)した場合のキャッシュフローを作成し、それぞれのNPVを算出。デシジョンツリー法でのNPV算出 には割引率8%を用いました。
4.デシジョンツリーを用いて、2.の成功確率に基づく事業価値(期待値)を算出。
5.伝統的DCF法を用いた場合の割引率を算出するため、すべて成功した場合のキャッシュフローについて、NPVが4.で算出された値と等しくなる割引率を逆算。

上記条件において、デシジョンツリー法の評価は、伝統的DCF法で約22%の割引率を用いていた場合の評価とほぼ等しくなりました。デシジョンツリー法で用いた割引率8%に対して、伝統的DCF法では、約14%を上乗せすることによって、両評価法で同等の事業価値が算出された、ということになります。

それでは、上記2.で設定した成功確率を持つプロジェクトに関しては、デシジョンツリー法の割引率に対して、伝統的DCF法の場合は常に約14%を上乗せすればよいのかというと、そうではありません。それは、各開発ステージの終了のタイミングによって、上記手順から逆算される割引率が異なってくるからです。

このように、伝統的DCF法の割引率に開発リスクを反映する際には、更に細かく前提を定める必要があるなど、どのような考え方で開発リスクを考慮したのか理解・共有されにくい一面があります。一方で、全社や事業部内で、開発リスク等を考慮した基準値ともいうべき割引率の値を一つ定めてしまえば、その後は開発ステージごとのリスクを考慮する必要がなくなり、運用がシンプルになるということは伝統的DCF法の利点と言えます。

簡単ですが、デシジョンツリー法と伝統的DCF法について、開発リスクの考慮方法という面から比較をしてみました。それぞれの開発プロジェクトのステージごとの成功確率とタイミングを考慮して評価を行う場合にはデシジョンツリー法が適しており、プロジェクトごとの開発リスクの検討が困難な場合には、全社や事業部で開発リスクを考慮した一律の割引率を設定した上で、運用がシンプルな伝統的DCF法が適していると言えそうです。

(小川 康)

※ 医薬品開発における期間と費用 -新薬開発実態調査に基づく分析-山田 武(千葉商科大学商経学部助教授)
医薬産業政策研究所リサーチペーパー・シリーズ No.8(2001 年10 月)