損害保険は、様々なリスクを補償してくれる有り難いものです。自動車保険のような日常的なリスクの補償に始まり、台風や地震・人工衛星の事故など、大変金額が大きい損失も補償しますから、経営はなかなか安定しそうにありません。しかしその一方で、日本の損害保険会社は経営が安定していることもよく知られています。今月のコラムでは、損害保険という事業の仕組みから、リスクとリターンについて考えてみることにします。

保険が成立するためには、大数(たいすう)の法則が重要とよく言われます。大数の法則とは、自動車がたくさんあれば自動車事故の確率もおよそ推定できる、というように、多くの事例から損害の発生確率を推定する考え方です。自動車保険や火災保険など、一般的な保険の保険料は大数の法則に基づいています。まさに保険らしい考え方です。

もう一つ重視されているのが収支相等の原則です。これは、もらうお金と支払うお金が釣り合う必要がある、という考え方です。つまり、大数の法則で確率がわかったとしても、実際に支払うことが出来る金額が集まらなければ保険を引き受けない、というものです。例えば、自動車保険を1件引き受けて、保険料が10万円だったとします。この1件だけでは、事故が起きたときに支払う原資が10万円しかありません。100万円の事故が起きたら支払えない、ということになってしまいます。

自動車保険や個人向けの火災保険では、件数を多くすることによって、収支相等の原則を満たします。10万円の契約が1万件あれば、受け取る保険料は10億円、保険金の支払い能力も10億円になる(経費は除いています)というわけです。件数が増えて、自社が引き受けた契約で、受け取る保険料と支払う保険金の収支が釣り合うようになれば、保険会社の経営は安定します。

しかし、損害保険の中には、自社が引き受けた契約では、収支が釣り合わないであろうと思われる保険もあります。それは、損害が発生した場合の支払額が数百~1000億円以上にのぼる保険など、契約件数が極めて少ない保険です。大規模な工場の火災保険や、人工衛星打上げ保険などが、件数が少ない保険の例です。また、台風や地震のように、ひとたび発生すると巨額の支払いが発生するリスクについても、収支相等の原則は一つの保険会社ではなかなか満たせません。

このような場合には、損害保険会社はどうするのでしょうか。まず考えられるのが、引き受け拒否です。保険料をもらっても事故のときに保険金を払えないようでしたら、保険会社は保険を引き受けないという判断をします。しかし、これでは保険のニーズに応えることが出来ません。

そこで活用されているのが再保険です。再保険とは、保険料を受け取った保険会社が、別の保険会社にあらためて保険料を払って保障してもらう仕組みです。例えば、1000億円の人工衛星打ち上げプロジェクトの保険を、A社が保険料100億円で引き受けたとします(数字はすべて仮想です)。しかしA社にとっては、100億円の保険料をもらっても、事故発生時に1000億円を支払えるかが問題です。

ここで、A社の支払い可能額が270億円だったとしましょう。事故が発生しても1000億円を支払うことが出来ない状態です。このような場合、A社は自社では支払えない部分を支払ってくれる他の保険会社を探します。そこで人工衛星保険に経験を持つX社に相談したとします。交渉の結果X社が700億円の保険引き受けに了解すると、A社はX社に対して保険料70億円(1000億円に対する保険料100億円と同じ割合だとすると、700億円に対して保険料70億円になります)を支払います。人工衛星打ち上げに事故が発生すれば、X社はA社に保険金を支払うことになります。A社はもともとの支払い可能額270億円に、残った保険料30億円が加わり、300億円の支払い可能額を持ちますから、保険事故が発生した場合にA社とX社合計で1000億円を支払うことが可能になります。これが再保険の仕組みです。A社は30億円の保険料収入にとどまりますが、最大支払額を支払い可能額の300億円に抑えることができ、経営を安定させることができます。

大規模な保険や、件数が少なくて専門性を高めにくい保険では、必然的に再保険のニーズが高まります。はじめに保険を引き受ける会社(元受会社といいます)が適切な保険料水準を算出できない場合に、専門性の高い再保険会社に見積りを依頼する、ということも実際に行われています。例えば、上記のX社には、世界中の人工衛星関連保険の情報が集まってくる可能性があります。そして他の会社が追従できない専門性、「目利き」能力を獲得した会社は、再保険の引き受け手として得意分野を確立します。再保険会社として選ばれるためには、単に支払い能力が大きいだけでなく、他社よりもその分野に関する経験や知識が蓄積されていることが重要なようです。

日本の損害保険会社は経営が比較的安定していると言われていますが、その理由の一つはこの再保険をうまく使い、大きな損失の発生を防いでいるからです。しかし、大きなリスクを再保険会社に転嫁するということは、大きなリターンも転嫁することにつながっていることに注意が必要です。日本の損害保険元受会社大手の東京海上日動火災と再保険大手のミュンヘン再保険会社の、過去5年間のリターン(当期利益率)を比較してみると、東京海上が2.8%であるのに対し、ミュンヘン再保険は7.2%です(保険の分野や会計基準の差異等を無視した概算です)。また、リスクを表す指標として同じ期間の当期利益率の標準偏差を見ると、東京海上は0.7%で、リスクの低い大変安定した経営をしているのに対し、ミュンヘン再保険の当期利益率の標準偏差は2.8%となっていました。東京海上のリスクとリターンが低めで安定しているのに対し、ミュンヘン再保険のリスクとリターンは共に比較的高いといえます。再保険会社のリスクとリターンが比較的高いのは、元受会社が引き受けられないような大型の保険契約を多く引き受けていることが一因となっています。

再保険のようにリスクとリターンを分担する仕組みは、一般の事業にも当てはまると考えられます。元受会社は、事業シーズ(ビジネスのネタになる技術やアイデア)を生み出すベンチャー企業に相当します。ベンチャー企業が、自社の能力を超える事業展開を図ろうとする場合などには、資金力と専門的な強みを持つ大企業の出資を受ける、あるいは買収されるということが起きます。この場合、ベンチャー企業からリスクとリターンを大企業が引きけることから、大企業が再保険会社の役割ということになります。例えば、半導体事業の再編を主導する企業や、バイオのベンチャーを買収している大手製薬会社などが再保険会社に相当すると考えられます。

損害保険業界では、リスクとリターンの分担によって、大型の保険が成立する仕組みが長年機能しています。自社単独では実現出来ない大型の製品やサービスを、資金力と専門的な強みを持つ大企業と実現する、そんなオープンイノベーション的なリスクとリターンの分担の仕組みがますます利用されるようになるでしょう。

(小川 康)