事業の評価や計画立案に日々携わっているうちに、未来はどのように決まっていくのか、という疑問を持つようになりました。未来は、既に決まっているものなのか、それとも、無限に可能性があるものなのか?そもそも、答えはあるのでしょうか?

こんなとりとめの無いことを考えていましたら、物理学者が「未来は決まっているのか」というテーマに対して、長年考え続けていることを知りました。今月のコラムでは、物理学の権威たちが、未来について考えてきたことをご紹介します。

ニュートン(1642~1727)は、1666年頃に万有引力の法則を発見し、ニュートン力学としてまとめ上げました。その功績から、近代物理学の基礎を築いた第一人者と言われているのは、皆様ご存知の通りです。ニュートン力学は、「力を受けた物体がどのように運動するのか」を明らかにします。この考え方によって、現在A地点を時速vキロメートルで移動している物体は、t秒後にB地点に到達する、といった予測ができるようになりました。

ニュートン力学は、宇宙のあらゆる現象を説明できる、と考えたのがラプラス(1749~1827)です。もしも、ある瞬間において、すべての存在の運動を知ることが出来れば、その後のすべての運動が計算できる、とラプラスは考えました。現在のすべては、ニュートン力学によって、あいまいさなしに次の瞬間につながっている、つまり、「未来は決まっている」と主張したのです。

この「未来は決まっている」という考え方は、近年まで多くの物理学者に支持されていたようです。アインシュタイン(1879~1955)の「神はサイコロを振らない」という言葉はその象徴的な例です。サイコロを振ってみるのは、どの目が出るかわからないからです。未来は決まっているのだから、神はサイコロを振ってみる必要は無いのだ、という意味に解釈されています。人間にとって未来がわからないのは、人間にはすべてを知る能力が不足しているから、という考えです。

ラプラスからアインシュタインに至るまで、物理学者の意見は「未来は決まっている」ということのようです。皆さんはどう感じられたでしょうか?

さて、話はここで終わりません。なぜアインシュタインが「神はサイコロを振らない」と発言した(実際には手紙に書いた言葉です)のか。それは、1926年頃から「未来は決まっていない」と主張するボルン(1882~1970)などの物理学者が現れ、それに対してアインシュタインが「未来は決まっている」と反論したからです。

「未来は決まっていない」というのは、量子論に基づく考え方です。量子論とは、原子や電子といった極めて小さいものがどのようにふるまうかを説明する理論です。その小ささのイメージですが、野球のボールと原子の大きさの比率は、地球とビー玉の大きさの比率に相当する、ということなので、とてつもなく小さなレベルの話です。この量子論によると、電子等がどう観測されるかは、確率的にしか予測できません。ニュートン力学で決定するように、あいまいさなしに場所が決まることはなく、全知全能の神でさえ、電子がどこに存在するかわからなくなる、という主張です。

アインシュタインは、量子論を激しく批判します。量子論の権威ボーア(1885~1962)とアインシュタインの論争は、何度も繰り返されました。アインシュタインは、自分の1936年の論文の中にも「量子論というものが、[将来の]物理学にたいして有用な基礎を与えるのに適しているとはとうてい思えない」と書いています。アインシュタインは、量子という考え方を作り上げた学者の一人でもあるのですが、「未来は決まっていない」という点については、生涯疑問を持っていたようです。

しかし、現在では、様々な議論や実験を経て、量子論、即ち「未来は決まっていない」という考え方は多くの物理学者に支持されています。ニュートン力学が全否定されたわけではないので、すべての未来が決まっているのではない、ということのようです。

ニュートン力学のように論理的に「未来は決まっている」とする考え方は、打つべき手を打てば結果を得られるはず、という原理原則を支える信念になります。更に興味深いのは、長らく「未来は決まっている」と考えてきた伝統的な物理学者の考え方に、20世紀になってから、「未来は決まっていない」とする考え方が加わってきたことです。このことは、新しい考え方や概念がこれからも登場するのではないかという期待を持たせると共に、やはり未来の可能性は無限である、と告げているように感じます。

(小川 康)

参考文献
「みるみる理解できる量子論改訂版」ニュートンプレス
「ニュートン2009年9月号」ニュートンプレス
「科学者と世界平和」アルバート・アインシュタイン他 中公文庫