ある事業計画を立案し、それを会議に提出したとします。出席者から色々な視点からの指摘や再考を促す意見が出てきます。それぞれの意見が両立可能であればそれらを計画の修正に盛り込むことは可能ですが、両立できない、相反する意見が出た場合、すり合わせるのは大変ですね。読者の皆様もこういった調整業務に苦労した経験がおありかと思います。
 異なる意見を調整するという行為はどこの国のどんな組織体でも行われていると思われますが、日本においては調整を行うことを「根回し」と呼ぶことがあります。根回しというと、密室政治や謀略といったイメージがあり、ネガティブな響きがありますが、物事を決めるのに根回しは本当に悪い機能なのでしょうか?

 皆さんもよくご存知のとおり、ビジネスにおける根回しとは、正式な意思決定の合議体の前に、事前に個別交渉を行って計画などの意図や事情を説明し、了承を得ておくことを指します。「根回し」という言葉は本来園芸用語ですが、木の移植をスムーズに行うためにかなり早い段階から行う準備作業から転じ、上記の意味として使われるようになりました。

 では、意思決定の品質向上に根回しは役に立つのでしょうか?既にこのコラムでも何度か出てきましたが、意思決定の品質を左右する要素として、以下の6つがあげられます。
 1. 的確なフレーム(考え方の枠組み)として以下の2.から5.が内在します
 2. 有用かつ信頼性の高い情報
 3. 明確な価値判断基準
 4. 明快かつ正しいロジック
 5. 創造的かつ実行可能な計画代替案
 上記の要素のもとで、
 6. 関係者全体のコミットメント(やる気・覚悟・決意)が高まる
これが意思決定の品質を左右する6つの要素ですが、根回しを行うとどこがどのように影響を受けるか、考えたいと思います。

 まず、2.の情報ですが、根回しの個別交渉の場で得ている情報を等しくオープンにすれば、情報の品質が悪くなることはありませんが、個別の場で示す情報を恣意的に隠蔽したり、見せ方を変えたりすると意思決定をミスリードすることになります。開発コストはかからない代わりに生産コストが高く、売上はそこそこあがるという事業計画の場合、「得られる売上に比して開発費が低い」と見せればポジティブな結論となりやすく、「生産コストがかかるわりに売上は大したことない」と見せればネガティブな結論となりやすくなります。交渉の話し手と聞き手の間で情報を非対称にすることで、結論を誘導することができるわけです。
 次に、3.の価値判断基準と4.のロジックですが、これが根回しの場面では最も揺らぐことが多いのではないでしょうか?もちろん、個別交渉でのやり取りを経て判断基準とロジックを見直して計画を鍛えることは意思決定の品質の面でプラスに作用しますが、交渉ごとに判断基準とロジックを変えていくと、了承は得られたとしても、何を得るために、どういう道筋で遂行するのかが曖昧な計画となります。政治の話でビジネスとは異なりますが、この典型例として鳩山内閣時代の普天間基地移設問題があげられます。「沖縄住民の基地負担軽減」「日米同盟の維持」「近隣諸国に対する防衛力の堅持」という価値判断基準の優先順位を交渉相手によって繰り返し変えた末、「日米同盟の維持」を最優先に沖縄県内基地移設を閣議決定しました。しかし、県内基地移設への手順は見えず、また、この手段を通して日米同盟の維持という価値を得られるのか、合理的な考えの道筋(ロジック)も不透明な状態となっています。

 ここまで書くと根回しは意思決定の品質を歪めるとても悪い手法のように映りますが、5.の代替案の創出や6.のコミットメントの醸成にはプラスに働くように感じます。コミットメントの醸成という点では、正式な意思決定プロセスより早い段階で個別交渉を行い、助言や了承を得ることは、計画立案者のモチベーションを高め、聞き手のサポートも得られるという効果が期待できそうです。また、代替案の創出という点では、日本には「3人寄れば文殊の知恵」ということわざがあるように、少人数で濃密な議論を交わすことで新たな知恵を生み出し、意見の対立を乗り越えるということが期待できます。 しかしながら、そこで生まれた価値基準やロジックをオープンにすることなく、決定された計画だけ公にすることはプロセスをブラックボックスにすることとなり、結果として関係者のコミットメントを高めることにはつながらないでしょう。

 利点を挙げたものの、総じて見ると根回しの評価はあまり高くなさそうです、しかし、今日もあなたの会社の一室で、根回しは行われているかもしれません。何で止められないのでしょうか?
 結局、根回しは日本人にとって本音をぶつけ合う議論の機会の創出として有効であるからだと考えます。和を尊ぶ日本人は、会議の場で多数による本音の議論を好まず、実のある議論と合意が形成されにくい傾向があります。半面、根回しは基本的に個別交渉なので、1対1で本音をぶつけあう議論の機会が創出できる点で多用される手法となっているのではないでしょうか。
 ただし、合意を取り付けること自体、あるいは根回しという行為そのものが目的化すると、その意思決定はブラックボックス化し、得られた情報や判断基準、決定された計画のロジックに対する関係者の合意とコミットメントを高めることができず、失敗するケースが多くなります。これを避けるためにも、情報・価値判断基準・ロジックの根拠を、それが交渉の結果変化しても、その変化を含めて説明可能な状態にしておく必要があります。つまり、説明できない情報や判断基準やロジックの変化は、変化が発生したときの根回しの当事者以外には分からないのです。その過程を経て決まったものに対して、コミットメントが高まらないのは自明といえるでしょう。

 園芸用語における根回しとは、新しい土に樹木を根付かせるため、根の周りを掘って主要な根以外を切り落とし、新しい根を生やすことを指します。新しい土で十分水分や養分を吸収できるのは、新しい根のほうが良いからです。社内や国会で根回しをしている人は、計画から新しい根を生やし、新たな地に根付かせる気概をもって事に当たっているでしょうか?

(井上 淳)

(参考文献)「意思決定の理論と技法」籠屋邦夫、ダイヤモンド社、1997年