今月6月1日より、コーポレートガバナンス・コードが上場企業に対して適用されるようになりました。また、昨年2月には、日本版スチュワードシップ・コードが公表され、多くの機関投資家が日本版スチュワードシップ・コードの受入れを表明しています。コードという言葉は、ややわかりにくいですが、要するに規則です。このような規則が定められると、企業にとってどのような影響があるのでしょうか。また、なぜ今このような規則が定められたのでしょうか。今月のコラムでは、その背景と要点をご紹介したいと思います。

 コーポレートガバナンス・コードと日本版スチュワードシップ・コードは、「伊藤レポート」と呼ばれる報告書の内容に基づいています。「伊藤レポート」は、経済産業省のプロジェクトで、伊藤邦雄 一橋大学大学院教授(当時)を座長として日本を代表する有識者が結集し、2014年8月に発表されました。末尾には、情報提供者としてインテグラートの名前が記載されており、弊社にとっても大変重要なレポートです。

 「伊藤レポート」の正式名称は、『「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクト最終報告書』です。基本的に機関投資家の立場で論述されており、投資家が企業に何を望んでいるか、様々な調査結果を踏まえて整理されています。

 このようなレポートや規則が、いま続々と作られている背景は、アベノミクスです。アベノミクスでは、政府があの手この手で日本経済を成長させる工夫をしています。金融緩和、公共事業に続き、民間企業の収益改善に打てる手は何でも打つぞ、というのが政府の姿勢です。

 民間企業の収益改善のため、経済産業省と金融庁は、株主の力を活用して企業に強い圧力をかけよう、と考えました。そのため、「伊藤レポート」は、株主として企業に対して強い力を持つ機関投資家の視点で書かれています。日本版スチュワードシップ・コードは、株主と企業の対話を強化することが目的です。コーポレートガバナンス・コードは、株主を代表する立場の社外取締役の強化に重点を置いています。これらすべては、株主の声を企業経営に反映させることが目的なのです。

 「伊藤レポート」が発信している画期的なメッセージは、日本企業はROE(自己資本利益率)で8%を上回るべきである、という提言です。企業の立場から見れば、どの企業も一律の目標という設定は、乱暴に思えます。ROEという指標の理論的意味からも、一律の目標設定には批判があります。しかし、投資家の立場では、儲かればよいわけです。ROEが高ければ、株主へのリターンが高い、よい会社です。ある程度の無理や批判があるのを承知で、ROE8%以上という一律の目標を設定したところに、政府アベノミクスの覚悟が示されています。

 この影響は、既に具体化しています。今年の株主総会シーズンで、株主の議決権行使に関する助言が専門のISS(注1)は、過去5期のROEの平均値が5%を下回る企業に対しては、株主が取締役選任議案に反対するように、新たな基準を追加しました。つまり、稼ぎが悪い取締役はクビにしろ、という具体的提案を始めたのです。これは困ったぞ、と感じた経営者は少なくないと思います。経営者にとって、株主は敵か味方か、という議論もあるようです。

 この、敵か味方か、という論点は、単に感情的なものや、経営者の保身に基づくものだけではありません。株主が短期志向の要求を強めるとしたら、それは企業の持続的成長には有害なのではないか、という実に重要な論点があるのです。「伊藤レポート」では、株主の短期志向(ショートターミズム)を強く批判しています。制度上の問題として、企業の四半期決算・開示という、日本企業に義務付けられている制度が株主の短期志向を助長しているのではないか、という指摘も記載されています。短期志向の問題は、日本だけで議論されているのではないようです。EUでは、短期志向問題への取り組みの一環として、四半期開示が2015年11月から義務ではなくなります。

 「伊藤レポート」では、株主が短期志向になるのは、企業に責任がある、という批判も展開されています。この批判の根拠として示されているのは、企業が発表する中期経営計画の達成度があまりにも低いことです。要するに、各社の中期経営計画があてにならないので、株主は短期志向にならざるを得ないのだ、という指摘です。「伊藤レポート」には衝撃的な目標達成度数値が記載されていました。あまりにも低い数値なので、念のため出典(注2)にもあたってみました。

 「伊藤レポート」及び出典によると、日本企業の中期経営計画の目標達成度は、売上高で8%、営業利益で11%、当期純利益で14%に過ぎません。これでは、株主から、あなたの目標は信用できませんと言われても、全く反論できない水準ではないでしょうか。更に、一体どんな経営をしているのだろうか、と強い疑念も生じます。そこで、日本版スチュワードシップ・コードとコーポレートガバナンス・コードという規則が相次いで策定され、企業に株主の声が届く仕組みが、極めて入念に整備されてきたわけです。

 株主の声として、「伊藤レポート」が結論しているのは、企業が「稼ぐ力」を高めることです。株主の期待に応えることは、株式会社の基本です。「伊藤レポート」は、企業が「稼ぐ力」を高めて、株主の信頼を取り戻す努力を要求しているのです。「伊藤レポート」「日本版スチュワードシップ・コード」「コーポレートガバナンス・コード」がもたらす強烈な圧力を、経営改革の好機到来と捉えるか、厄介な外圧と捉えるか、各企業の覚悟が問われています。

(小川 康)

注1 Institutional Shareholder Services Inc. (ISS) 発表資料
http://www.issgovernance.com/file/policy/iss-policy-update-announcement_japanese.pdf
注2 「企業会計研究のダイナミズム」第8章 伊藤邦雄先生還暦記念論文
編集委員会編、中央経済社、2012年5月