最近、AI(Artificial Intelligence:人工知能)技術を用いた製品・サービスが、これまでコンピュータが不得意とされてきた分野でも目覚ましい進歩を見せているようです。例えば今年3月、Googleが開発した囲碁AI「AlphaGo(アルファ碁)」が、世界最強囲碁棋士との呼び声高い韓国の李世ドル九段との五番勝負で4勝1敗と勝ち越しました。この結果は囲碁界のみならず世間に大きな衝撃を与えました。筆者も、2013年10月のインテグラートインサイト・コラムにてコンピュータ囲碁の状況は『まだプロ棋士と対等に戦うまでには至っていないもののアマ6~7段程度の実力で、その力を着実につけつつあるようです。』と書きましたが(注1)、それからわずか3年弱で人間を打ち負かしてしまうとはさすがに想像していませんでした。

 また、企業の経営判断を支援する目的のAI技術も開発されています(注2)。もちろん、AIが注目される以前からデータ分析など科学的手法の重要性は認識されています。しかし、いわゆる「KKD=経験・勘・度胸」という語が表すように、企業の経営判断というのは、人が考え人が意思決定するスタイルの典型的場面であると昔から考えられてきました。果たして、将来的には企業の経営判断もAIに取って変わられてしまうことになるのでしょうか。今回のコラムでは、KKDの各要素についてAIの代替可能性を検討しながら、今後の企業の経営判断において注意すべきポイントについて考えてみたいと思います。なお以下では、AIを厳密に技術的な定義でとらえるというよりは緩やかに「多くのデータから学習する賢いコンピュータ」という程度に位置付けています。

 まず、KKDの三要素の中でAIが最も得意とするのは「経験」でしょう。もともとコンピュータは過去の膨大なデータを処理することを得意としており、少し前にブームとなった「ビッグデータ分析」でもその特徴をいかんなく発揮した製品・サービスが数多く見られました。特にAIでは機械学習の考え方、つまり与えられたサンプルデータから特徴的な法則を導き出し、新たに与えられるデータについて予測をすることを繰り返しながら精度を高めていくアプローチが採られています。これは、人間が過去の経験から教訓を学び、今後の意思決定に生かしていくという行動様式と同じ方向性と見ることができます。むしろ、人間はえてして過去の中から自らの都合の良い部分のみを取り出して解釈してしまう恣意性を持っていますが、コンピュータであれば過去データの選択という部分においてはそのような恣意性はないので、より公正な観点で経験に基づく判断を下すことができる、とも言うことができるかもしれません。
 では、「勘」はどうでしょうか。勘は、客観的状況から判断できる材料が過去の類似する経験に照らし合わせても乏しい状態で根拠として用いられる場面が一般的でしょう。そこにおいて勘を単なる「気まぐれ・ランダム」と考えるのであればコンピュータでも人間でも、あるいは人間の中でも変わりがないのかもしれません。ただ、もし勘の優れている人・いない人が実際にいたとしたら、その違いはどこから来るのでしょうか。筆者は二つの可能性を立てています。一つは「一見判断材料に乏しいと思われる客観的状況の中に実は重要な要素が潜んでおり、その要素を(無意識的に)察知できるかどうか」、もう一つは「過去の人生経験(類似していないものも含む)の蓄積から判断の法則を(無意識的に)定立しているかどうか」です。もし前者だとすると、コンピュータでは客観的状況をさまざまな変数として入力することで処理が可能となりますが、コンピュータで扱える変数の範囲(数および種類)は技術の進展で大変に広がってきています。画像や音声の識別・検索機能の高度化にもその一端が表れています。すなわち、状況察知能力の点ではAIの方が優れていると言えるでしょう。後者の解釈の場合については、前段落の「経験」の部分で述べたように、機械学習、特に(出力すべきものを明示せずにデータを与える)「教師なし学習」の手法によって、人間の理解では見落としてしまいそうな法則を見つけることも可能と言えそうです。従って、あたかも人間らしさの最たる特徴の一つである「勘」も、AIが上回ってしまう余地は十分にあると考えられます。
 そうなると人間側に最後に残された切り札は「度胸」ということになりますが、筆者はここにポイントがあると考えます。度胸を「動じず、意思決定することについて納得して自信を持つ」ととらえると、納得して自信を持つために重要なのは「なぜその意思決定をすることが良いのか」という根拠・ロジックです。個人レベルでは、自分の気持ちひとつで納得して度胸を持つことはなんとかなります。しかし、企業の経済活動は社内外の様々なステークホルダーの集まりであり、そういった組織レベルにおいては、関係者みんなが納得することは容易ではありません。例えばAIがなんらか企業の経営判断について意思決定をしたとして、その根拠やロジックが「過去や現在のデータから予測するとこうなるから」という説明では、納得を十分に得ることができるでしょうか。仮に「優れたAIが判断したから良いんだ」という根拠のもとに社内で意思決定したとしても、それを社外の投資家は受け入れるでしょうか。世の中全てがAIによって動くことを全市民が受け入れている社会ならともかく、多様な考え方を持つ人が集まって構成されている組織においては、「どういった前提の基にどういったロジックで、どういったリスクを踏まえて意思決定する/したのか」という議論・説明が重要です。そのプロセスを経て初めて組織として度胸のある意思決定ができ、その度胸がすなわち目標達成に向けて安心して決定内容を進める力を引き出すのではないかと思います。逆に言えば、意思決定に至る根拠・ロジックを人間が理解できるレベルで提示できるシステムは、企業の経営判断を大いにサポートするものとして有効活用されることが期待できます。

 先日のNHK杯テレビ囲碁トーナメント(Eテレ)で、NHK杯の対局序盤の変化図を解説する中で解説者のプロ棋士が「我々(プロ棋士)はこういう風に考えてこう打ちますが、アルファ碁先生はこう打つんですよ。なぜだかわかりませんが、この方が良いということなんでしょうね。」という感じで説明していました。プロ棋士をして「先生」と言わしめてしまうほどの存在にアルファ碁が上り詰めたことを象徴していますが、筆者自身はここにはアルファ碁の優位性を示すと同時に別の意味も込められていると感じました。それは、「コンピュータ『先生』の考えていることは、われわれ『人間』には理解が出来ない」というニュアンスです。もちろん筆者はAIが社会をより良くする方向に発展することを期待しています。その発展の方向性が「AI vs KDD」でなく「AI with KKD」、つまり人間を置き換えるよりは人間と共に輝かしい未来社会の創出に向けて進んでいくことを願ってやみません。

(楠井 悠平)

(注1)「コンピュータ囲碁の進歩に学ぶ」2013年10月インテグラートインサイト・コラム
http://www.integratto.co.jp/column/090/

(注2)「日本語での論理的な対話を可能とする人工知能の基礎技術を開発」2016年6月2日、日立製作所ニュースリリース
http://www.hitachi.co.jp/New/cnews/month/2016/06/0602.html