限られた研究開発資源を有効に活用するため、個別の製品パイプラインと全体のポートフォリオの評価の高度化が追求されています。本稿では、その最終的なゴールである企業価値の最大化や持続的な成長の実現に照らした論点や実務上の要件とは何か、整理してみたいと思います。

(1)定量的(経済的)評価への取り組み
 個別パイプラインについては、より開発の初期段階にある試作品や製品シーズへの客観的な価値評価への関心が高まり、またスタートアップ企業の高額な買収の妥当性が論評される機会も増えています。Go/No Goや具体的な投資レベルを決定するためは、経済性を定量的に評価する手法が求められ、従来のNPVに加え、発生確率やパラメータ、将来の選択肢をより精緻化したeNPV、モンテカルロシミュレーション、リアルオプション等が提言されています。

 これらの実施には実際かなりの手間がかかり、定着は容易ではありません。それでも行う意義があるのは、モデルを作成する過程で「どのパラメータ要素/仮定の影響が大きいのか(感度)」、そして「どんな変化要因/施策に発生するのか(トリガー)」を知ることにあります。結論の正確性よりも、むしろ将来のシナリオ設計とそのモニタリングを通じて、どんなイベントが起こる/施策を実現することに備える必要があるのか、そして当初の仮定が変わった場合、どんな判断/アクションを早急にとるべきかの理解が重要です。

 また、買収の判断では、悪いシナリオに振れた場合の経済的インパクトや財務面など全体経営への影響度の定量的な把握が大切になります。買収価格は候補企業の需給や世間がどう評価するかなど相場による部分が大きく、ボトムアップの定量的評価とかい離しても戦略的にGoの判断を下さなければならない局面があるからです。

(2)定性的(半定量的)評価手法の確立
 一方、製品コンセプトや技術シーズ、研究テーマ等については、定量的な価値評価に限界があり、定性的(判定量的)な評価基準を併用して投資判断を下さざるを得ません。この際、潜在的な市場・収益ポテンシャルだけではなく、自社の「能力基盤(技術知見・事業スキル)」や「展開方向(ビジョン)」との整合性を重視する必要があります。研究開発の初期段階における価値実現の確率や期待値は、外的な市場環境よりむしろ内的な事業化環境に左右されることが大きいためです。本業とは異なる新規製品・事業の開発の場合も、同じことが言えると思います。

 私が所属するアーサー・ディ・リトルでは、能力基盤の棚卸や展開方向の明確化を起点に、それとの整合性の観点から初期段階の研究開発パイプラインの評価を体系的かつ客観的を保ちながら実施しています。また、いくつかの製品に関連する要素技術のレベルでは、SMT法(Strategic Management of Technology)という手法を用いて、各技術のもつ戦略性(顧客訴求度、競合差別化度、自社貢献度)、強さ(特許、人材、性能、コスト)、成長性(拡張性、成熟度)の総合的な観点から評価を行い、投資のGo/Noや資源配分の意思決定に成果を上げています。近年のオープンイノベーションの拡大に伴い、自社独自で行うべき研究開発案件の明確化が求められていますが、SMT法はこうしたMake or Buyの判断にも活用できます。

 一方、これら手法は評点化による個別パイプライン間の相対的な優先度を決定するには有効ですが、具体的な投資金額の算出自体は、全体で使える研究開発資金の総額に対して一定の配布ロジックを構築することが前提になることは理解しておく必要があります。

(3)ポートフォリオ構造の決定
 個別パイプラインの価値評価の精緻化はもちろん必要ですが、企業全体の価値の最大化や持続的な成長という意味では、パイプラインの総和であるポートフォリオのバランス管理が鍵を握っています。パイプラインの合算の結果が経営目標値を達成できたかではなく、どういう構成で成り立っているかが、将来の企業価値の拡大余地や安定性に影響を与えるのです。

 ポートフォリオ構造の最適化において注視しなければならないのは、「リスク階層」と「領域集中度」の管理です。各パイプラインを価値の実現確度とインパクト量の特性、あるいは能力基盤・展開方向との合致度により分類し、全体の財務・戦略方針に沿って、過去の経験値も参照にしながら、セグメント毎の資源配分量をトップダウンで決定する必要があります。

 関連事例では、P&Gがイノベーションポートフォリオという枠組みで、シーズとニーズの新規性の観点から個別開発対象を「コマーシャル」「持続的」「転換的」「破壊的」の4つのイノベーションタイプに振り分け、各セグメントへの資源配分と資金の出し手(部門)の決定を行っています。

 初期の製品シーズや技術要素の開発、あるいはスタートアップ企業の買収等、精度高く投資金額の算出が難しい場合は、こうしたセグメント毎に配分された資金の余裕度を見ながら、成功に不可欠なレベルまで引き上げられるかの判断を行うことも考えられます。

(4)包括的なマネジメント体制
 最後に、以上の個別のパイプライン評価や全体のポートリオにおける資源配分を企業の中でどういう形で運営するかが課題となります。要素技術開発、製品シーズ開発、製品化、市場投入に至る一連のライフサイクルにおいて、業種や事業構造による違いはありますが、研究、開発、マーケティング、経営企画等の組織が別々にパイプラインやポートフォリオの管理を行っている場合が散見されます。

 特に、一番上流の技術要素や初期製品シーズの開発については研究部門の管轄とされ、全体の資源枠が決められた後の開発対象の選定や優先順位付けおよび開発予定は、研究所の判断に委ねられる部分が多く、製品戦略を管理する部門からは状況把握やインプットができない場合も多いようです。製品化までのプロセスが長く複雑で、完了リスクが高い業種や新規開発製品の場合は、特にこの傾向が強まります。

 個別のパイプラインおよび全体のポートフォリオの価値を最大化する観点から、この状態は望ましくありません。確度に不明確さが残る段階でも、前広に開発状況を共有することで、下流側はリスク対策も含めた手が打てるし、逆に下流からのフィードバックが効果的な開発の加速・調整につながる可能性もあります。包括的な開発状況の把握を通じて、全体の展開方向や業績目標とのギャップの理解が深まり、ライセンスインや買収などのインオーガニックな施策の必要性の判断が早められることになります。

 重要製品のパイプラインや全体のポートフォリオについて、状況の共有と対策、評価と優先順位等を討議するための組織横断的な会議体やコーディネーターの役割が必要になります。各部門による結果と方針を発表するのではなく、相互の情報に基づいて建設的な対策を関連部門間で検討する場で、毎年の経営・製品計画作成が行われる前や、必要によりさらに短いサイクルで実施されるイメージです。

 以上、研究開発のパイプラインとポートフォリオの管理について概観しましたが、新しい取り組みにより制度設計と運営のための負荷が一時的に高まる恐れはあります。しかし、可視化のプロセスを通じてより迅速で大胆な戦略的な意思決定が可能になり、IR上のメリットも期待できます。是非、積極的に検討頂ければと思います。

(大原 聡  アーサー・ディ・リトル・ジャパン株式会社 パートナー)