昨年来、電通の過重労働による自殺の問題や、東芝の不正会計の問題がメディアで大きく取り上げられています。この2つの問題の中身は違いますが、上の人間が下の人間に過重労働や不正を(暗黙的も含めて)強制し、それを重ねた末に問題が露見した、という点が共通していると考えます。また、「上が強制し、下が不本意ながらもそれを受容する形が継続する」という構造は、なんだか軍隊的だな、という印象を受け、さらに日本以外の国ではこのような構造はあまり見受けられないと感じます。なぜ21世紀の日本にこのような軍隊的な風土がいまだに残っているのだろう、ということを考えていた時に、野口悠紀雄氏の「1940年体制」という本に出会いました。
 今回のコラムでは本書の企業に係る部分に着目し、どのような1940年体制による特徴や考え方が残存しているのか、またどのようにすればよいのかについて考えてみたいと思います。

 「1940年体制」とは、著者の野口氏が提唱している概念で、主に1940年(昭和15年)前後に実施された戦時経済体制を指します。
 いわゆる「日本的な」制度や習慣――終身雇用、年功序列、行政指導(お上意識)、間接金融、地方交付税交付金、源泉徴収制度、企業別組合、職場中心の集団主義、平等主義など――は、それまでの日本の伝統や歴史とはまったく関係がなく、1940年頃、総力戦としての太平洋戦争(日中戦争)を遂行するための戦時体制の一環として、当時の政府の官僚たちによって人工的に作られたものであるという説です。野口氏は企業体制のみならず、行政組織、金融制度など幅広く取り上げていますが、企業体制に関わる点に絞ると次のような特徴があると論じています。

・企業は株主の利潤追求の組織ではなく、従業員の共同利益のための組織に 戦前は企業の支配構造は株主中心で、配当性向が高い傾向がありました。1937年に始まった日中戦争の影響で、長期的な全面戦争を遂行するために政府が統制経済を導入するうえで、そのような高い配当性向は国民全体の所得分配の観点から好ましくないと規制されました。併せて、従業員の賃金体系も勤続年数を重視した生活給的な位置づけに変質し、1939年には賃上げを原則として認めず、例外として従業員全員を一斉に昇給することのみ認めるという賃金統制が加わりました。これらの統制は企業内部、とりわけ従業員に利潤を分配し、勤続年数を昇給の根拠とすることで同じ会社に長く所属させることを促しました。言い換えれば、労働市場の流動性を著しく狭めた施策と言えます。

・直接金融から間接金融中心へ
 戦前は証券形態による資金調達である直接金融の割合が多い状態でした。これは資産階級が多かったことと、金融市場に対する行政の規制が緩かった影響があったためです。しかし、昭和恐慌を経て1937年の日中戦争が始まると、同年から各種の法令によって融資の国家統制が始まります。これによって日本の産業構造は消費関連の軽工業から軍備により近い重化学工業にシフトします。また、先に述べた配当の規制により企業は株式市場からの資金調達が困難になり、従来は株式によって調達していた長期資金を借入によって供給する必要が出てきました。1942年の「金融統制団体令」によって「全国金融統制会」が設立され、共同融資が行われるようになりました。現在のメインバンク制の始まりです。この変化によって、企業の資金調達のオプションが狭められ、企業は借入によって銀行に資金を依存する構造が確立されたと言えます。

 1940年体制によるこれらの変化は、敗戦後も温存されました。これは「国全体が経済的に成長する」という高度成長期の目的とマッチしたからだと言えます。野口氏は高度成長期を通じて1940年体制が施策から価値観にまで浸透したと論じ、この体制の理念として、次の2点を挙げています。

(1)消費者優先ではなく、生産者優先主義:
 野口氏は生産者優先主義を「生産力の増強がすべてに優先され、それが実現できればさまざまな問題が解決されるという考え方」と説明しています。これだけ聞くとそうなのかな?と思ってしまいますが、野口氏は生産力の増強が第一という考え方は、「仕事がすべてに優先する」という会社中心主義と巧みにマッチしたと論じています。これに伴い、賃上げを抑制してさらに生産投資に回すという循環が確立されたことが、高度成長期に日本が世界の工場となったことと関連していると言えるでしょう。
 また、生産者優先主義は企業を相互補助的な共同体の役割を強化し、かつ生活の基本単位となっていると指摘し、この位置づけが就職を「雇用契約に基づいて雇われる」よりも「共同体の一員となる」という考え方につながっていると論じています。
 確かに、今も続く新卒一括採用という形の就職活動は、共同体に入るための修練の場という性格を未だ残している点で頷けるところです。野口氏はこのような思考様式が「会社のためになることが悪になるはずではない」という「会社人間」意識という思考様式につながっていると論じています。これが不正も善しとする土壌を生み出していると言えます。

(2)競争を否定する体制:
 この体制は「単一の目的のために国民が協働することを目的としている」と野口氏は定義しています。まさに戦時、総力戦体制的な考え方ですが、明らかに自由主義的な考え方とは逆の思想です。しかも、競争の否定は企業単位ではなく、生産者のレベルで主張されることが特徴と指摘しています。この特徴が≪生産者を保護するために企業体が必要≫→≪企業体の属する産業全体を保護する必要≫→≪参入規制や護送船団方式という政府施策≫というロジックにつながります。生産者個人の保護から演繹して産業全体の保護に至るという考え方と言えるでしょう。これによって、生産性の低い企業体や産業セクターも保護され、それらの生存権が確保されるという、市場経済の考え方とは相反する思想が「共生」などという言葉と共に戦後の日本人の行動規範のレベルまで浸透したと論じています。

 冒頭に挙げた2つの問題を1940年体制に照らして考えると、電通の過重労働の問題は共同体としての企業が同質性を強制したケースであり、東芝の不正会計は株主利益よりも、共同体を防衛することが優先されたケースであると言えます。野口氏は1940年体制の最大の問題点として、「成長には対応するが、変化に対応できない」としています。ではどうすべきかについて、7年前の本書増補版で野口氏はいくつかの提言を行っていますが、この2つの問題に関連し、筆者が現在でも必要と考える次の2点を挙げたいと思います。

a)「共同体に属する労働者が上」ではなく、人材を外に向けて開く
 過重労働の対策として残業上限100時間といった要請を首相が経団連会長に行ったことがニュースになっていますが、私はあまり根本的な解決策ではなく、それよりも本書で挙げている労働市場の流動性の拡大が重要だと考えます。確かに本書執筆以降の7年間で、労働市場の流動性の低さは非正規雇用の拡大とともにある程度解消されていると言えます。しかし、ではなぜ過重労働を強いられている人はその職場を離れる判断ができないのでしょうか?それは、「勤続年数の長さが給与に反映される」1940年体制の残存思想と、さらに「正規雇用と非正規雇用の賃金格差」が影響していると考えます。現在も正規雇用と非正規雇用の賃金格差はヨーロッパと比べると大きく、これの対策として政府は「同一労働同一賃金」を打ち出しています(※1)。この対応策としていくつかの会社は非正規社員の正規社員化を打ち出しています。しかし、「共同体に入るかどうか」で賃金に差をつける構造は基本的に変わっておらず、社内か社外かを問わず、雇用契約によって賃金を決める考え方には至っていないと感じます。

b)古いものの生き残りを助けない
 野口氏はこの提言の理由としてシンプルに「古いものが強ければ新しいものが生まれる余地がないから」としています。「内需拡大」はずいぶん前から叫ばれていますが、今世紀に入ってからも結局は円安誘導と金融緩和による輸出型製造業の外需拡大を支援する生産者優先主義の施策と考え方が残っています。内需拡大のための新しい産業の育成のためには、「ここまで我が国を支えたから保護しなくては」と古いものを残すのではなく、「これから先も必要なのか」という視点での判断が必要だと考えます。
 私共が支援する事業投資評価の判断指標としてよく使われるNPV(純現在価値)は、それまでどれだけ価値を生み出したかでなく、これからどれだけの価値を生むのかによって評価しようとする指標です。個々の事業投資案件単位だけでなく、企業単位についても、「いままでこれだけの実績があるから」ではなく、「これからどれだけの価値を生み出すのか」であり方を考えるべきではないでしょうか。

(井上 淳)

(参考文献)
「1940年体制(増補版) ―さらば戦時経済」野口悠紀雄著、東洋経済新報社、2010年

(※1)厚生労働省ホームページ「同一労働同一賃金 特集ページ」
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000144972.html