ブラックボックス思考と聞くと、思考のプロセスが隠されていること、と思われるかもしれません。私もそう思ったのですが、実は全く違う意味がありました。「Black Box Thinking(ブラックボックス思考)」という原題の書籍は、「失敗の科学」(注1)と和訳・出版されて、失敗から学ぶ大切さと、学ばない恐ろしさを詳しく解説しています。

 この本の著者はジャーナリストで、豊富な事例を引用して、読み手を飽きさせません。まずは、病院での悲しい事故の話から始まります。比較的安全な手術のはずでしたが、麻酔や予期せぬ事態が重なり、ある女性が病院で亡くなってしまいました。その女性の家族は、医師から、最善を尽くしたが残念な事故だった、と報告を受けます。

 しかし、その女性の夫は、説明に納得がいきません。大切な妻の命が失われたのに、残念でした、では済まさないでほしい、と考えました。実は彼は飛行機のパイロットで、航空事故では、原因を徹底的に究明して再発を防止することが当然になっていたからです。航空事故の原因究明に際して、重要な働きを果たすのがブラックボックスです。ブラックボックスは、飛行データとコクピット内の音声を記録し、事故が発生すると機内の状況が徹底的に分析されます。

 飛行機が軍事目的に活用され始めた頃の1912年には、アメリカ陸軍のパイロットは、14人に8人が事故で命を失っていたそうです。当時は、飛行機に乗るのは命懸けだったわけです。ところが、2014年のジェット旅客機の事故率は、100万フライトに0.23回という極めて低い水準になっています(マレーシア航空機失踪事故を含む)。

 このように、事故から学び、安全性を高める仕組みを知っていたパイロットの立場から、妻を医療事故で失ったその男性は、病院に事故の原因調査を依頼しました。辛抱強く依頼を続けた結果、調査報告と改善案がまとめられ、更に一般に公開されることによって、事故の再発防止に活用されるようになっています。(注2)

 この本は、学ばない恐ろしさと、学ぶためには、目に見えているものだけを見ていてはいけない、ということもわかりやすく説明してくれます。例として挙げられているのは、瀉血(しゃけつ)という治療法です。瀉血は、患者の血を抜く治療法で、毒を抜いて回復するなどの考えから、2世紀ごろから、結構最近の19世紀まで、一般的な治療法として広く認められていたそうです。

 しかし現在では、患者から血を抜くことは、回復力を落とし、死に至らしめる場合もあることがわかっています。つまり、瀉血は、現在では一般的な治療方法ではありません。すると問題は、なぜ2,000年近くもの長期間、一般的な治療法として存在し続けたか、ということです。その理由は、生き延びた人だけを見ていたからだ、と説明されています。

 瀉血が原因で亡くなった方がいたとしても、近年までは、病気が原因で亡くなったのか、瀉血が原因だったのかがわかりませんでした。そのため、わずかであっても、瀉血を受けて生き残った人がいれば、瀉血は良い治療法であると考えられたのです。(注3)

 現在では、医薬品開発等でも一般的な検証方法として、ランダム化比較実験が行われています。瀉血の例でいえば、瀉血を受けた患者のグループと、瀉血を受けない患者のグループを比較して、瀉血の治療効果を検証します。その結果、瀉血の効果が低いことが、科学的に証明されました。ランダム化比較実験のような科学的な検証方法が定着するまで、長い間多くの人が命を落としてきたとは、大変恐ろしいことだと感じました。

 飛行機のブラックボックスは、事故が発生した後に役立つものですが、著者はブラックボックス思考という考え方を、成功を達成するために、学びを継続する「仕組みを備えること」と考えています。つまり、航空業界では、ブラックボックスを活用する仕組みを備えていることが、飛行機の安全性を高めることに役立っているわけです。

 この他にも、背筋が寒くなるような事例や、悲しい結末を迎えた事例等、学ぶ難しさと重要性を切々と訴えてきます。その一方で、少し明るい気持ちになるのは、小さな学びを積み上げて、大きな成功を達成する仕組みとして、「マージナル・ゲイン」(小さな前進)を強調していることです。

 マージナル・ゲインについては、スポーツの事例が豊富です。自転車競技、F1、ホットドグ早食い(スポーツではないかもしれませんが、日本人が登場します)などで、小さな前進を積み重ねることが、大きな成功をもたらすことが解説されています。

 この本を読んで、企業の方々との日頃の仕事を振り返ってみると、実際のところ、大きな失敗から学ぶことは、大変難しいことだとあらためて実感します。まず、大きな失敗は関係した人が多く、その中に現在の経営幹部が含まれていると、その失敗の原因を究明して共有することは、実務的にほとんど不可能になることが現実です。また、大きな失敗は、そう頻繁にはありませんので、学ぶタイミングが限られますし、既に手遅れとなり、学ぶ時間がないこともあります。

 さて、みなさんの会社には、飛行機のブラックボックスに相当する、継続的に学ぶ仕組みは、存在するでしょうか?ランダム化比較実験の考え方、マージナル・ゲインを大切にする考え方も、著者の言うブラックボックス思考の一つと言えます。カギは、大きな失敗をしてから学ぶのではなく、小さく継続的に学ぶ仕組みにすればよいわけです。大きな失敗が起きてからではダメージが大きいですから、早く安く失敗(Fail fast, fail cheap、注4)して学びを積み重ねるようにしたいものです。

(小川 康)

(注1)マシュー・サイド著 有枝 春訳「失敗の科学」ディスカヴァ―・トゥエンティワン
(注2)この事故の調査報告書は、インターネットで公開されています。
https://chfg.org/wp-content/uploads/2010/11/ElaineBromileyAnonymousReport.pdf
(注3)見えているものだけから判断して、事実を見誤ることを、生存者バイアス、というそうです。神戸大学の忽那憲治教授に教えていただきました。
(注4)仮説指向計画法(Discovery-Driven Planning)でも、仮説の外れに、早く安く気付くことが、大きな失敗を避け、成功の達成につながる、と説明しています。