10年前に「危険な『空気』」というコラムhttps://www.integratto.co.jp/column/024/を書き、「空気」によって意思決定を行う日本人の特性とリスクについて書きました。その翌年には「見えない力が日本人を束縛する」というコラムhttps://www.integratto.co.jp/column/033/で、日本人に内在する「言霊信仰」と「穢れの意識」が悪いシナリオを想定することを阻む大きな深層意識になっていることについて書きました。
一貫したテーマは「大きな意思決定ができない日本人・日本の組織」はなぜそうなったのか、変わることができるのか、ということです。前回の執筆から約10年経過し、その間、リーマンショックや東日本大震災など同時代の日本人がそれまで経験したことのないような出来事がありましたが、日本人が合理的、演繹的に意思決定を行う志向が強まったとは思えません。むしろ昨今の「忖度」という言葉の流行に象徴されるように、空気を読んで先を読む行動様式が強まっているように感じます。今回のコラムでは池田信夫氏の「『空気』の構造 日本人はなぜ決められないのか」を基に、決められない日本人の特性のルーツと、ルーツに基づく日本人と日本人の組織ができないことは何か、これからどうすべきかについて考察してみたいと思います。

まず、決められない日本人のルーツについて、 「『空気』の構造」では、灌漑農業における水の管理がボトムアップ型の意思決定構造を生み出すもとになったことを指摘しています。山あいの土地が多い日本では大規模な運河ではなく、小規模な水路を作り、村ごとに管理する必要がありました。この緊密な水管理の必要性が村民の共有する「空気」としての掟を生み出したとしています。加えて、私が興味深く感じたのは、水をいつ、どれくらい流すかという決定権は上流の村ではなく、下流の村が持っており、その利害調整を行うのが上流の用水組合で、さらにその組合同士の利害調整を行うのが本流の用水組合である、と指摘している点です。現場が強く、トップが事実上不在・不要の日本型組織のルーツはこの農業用水の管理・意思決定システムに起因していると感じました。
また、このボトムアップ型の意思決定構造では現場が決定権と実行権を併せ持ち、全体を統括する責任者がいないことが特徴であるとも述べています。形式的な決定者がいても、それは現場に指示を出すのではなく、現場の決定を追認するだけの「みこし」である点は下流の村の上位に位置する用水組合と同じ形態であると指摘しています。

この灌漑農業における村ごとの管理システムは、現代日本の会社組織にも受け継がれています。契約を明確化することで関係を維持するのではなく、非公式の長期的関係で統合を維持する点や、「勤勉革命」と著者が指摘している、「山の上まで棚田を作って土地を極限まで効率的に使い、長時間労働で収量を上げる労働集約的な農業」、「稲作では田植えのような集団作業が多いため、人々が自由に時間を使うことができない、命令されなくても、村の『空気』を読んで夜遅くまで作業する習慣」も日本の会社組織に色濃く反映されているように感じます。
この現場が強い組織体系は自律性が強く維持され、組織内の紛争を抑止し、勤勉革命による長時間労働とあいまって、少ない投下資本で高い品質の成果物を生み出すことを可能にしました。これが戦後日本を成長に導いた「ものづくり」のルーツと言えるでしょう。

このような組織は平時には威力を発揮します。それは「今までと同じことを、現場で漸進的に改善する以外は変えることなく正しく維持反復すること」を前提とした農業をルーツにしていることからですが、戦争や災害のような「今までにないことを、全体の戦略・目的・ビジョンを明確にした上で実行する」ことが求められる状況には対応できません。具体的には以下のようなことが決められない、できないこととなります。
・決定権が現場にあるので、小さな変化には迅速・柔軟に対応できるが、例えば現場をリストラするような大きな変革の意思決定ができない
・小さな問題から先に決め、利害の対立する大きな問題を先送りする「両論併記と非決定」が横行し、決められない状態が続く
・先の大戦の事例のように、全体目標がないため、今ある戦力で行けるところまで行く場当たり的な作戦が取られ、形勢が悪くなっても撤退せず「玉砕」するため、敗戦の教訓が受け継がれず、同じ失敗を繰り返す

ではそのようなルーツや特徴を持つ日本人と日本人の組織はこれからどのようにすればよいのでしょうか。私は以下の2点を意識する必要があると考えます。

1つは、属人的ではないルールがより重要になる、ということです。今後の日本は人口減少に伴い、必然的に移民社会になるでしょう。そのことによる同質性の低下によって日本社会は、「非公式の長期的関係」を築きにくくなるでしょう。この代わりに著者の言葉を借りると「非人格的なルールを用いて司法的に解決する」方法がより重要になると予想されます。つまり、明示的な、誰でも共有可能なルールを定め、共有することで組織の安定性を保つ努力がより重要になるとも言えます。

もう1つは「全体を見て決める」という意識付けがより重要になる、ということです。本書でも指摘されていますが、日本は上述の村単位の管理システムのとおり、細分化された「ローカルなたこつぼが自律的に動いている」国で、さらに欧米に比べるとキリスト教のような国家を超えて伝播する普遍的な宗教による規律的価値観が少ないため、共通言語の少ない国であると言えます。したがってほっておくと現場が勝手に動き続け、全体として何を目指しているのか誰にも分からない状態になりやすいのです。これを防ぐには、全体を見て決めるというポートフォリオマネジメント的な管理の考え方を意図して取り込む必要があると考えます。また、この考え方は日本のボトムアップ型の意思決定の伝統には相反することなので、自然に身につくことはないということも意識する必要があります。「全体を見ること」「それを基に決めること」の両方を意識して行うことが、非連続性に直面する現代の日本企業の変革を促すことにつながるでしょう。

(井上 淳)

【参考文献】
「『空気』の構造 日本人はなぜ決められないのか」池田信夫、白水社、2013年