最近、アメリカ合衆国の歴史映画「LBJ ケネディの意志を継いだ男」を観て感銘を受けました。感じたことをお話ししたいと思います。
・映画のあらすじ
アメリカ第36代大統領リンドン・B・ジョンソンは民主党の院内総務として精力的に活動していましたが、1960年の大統領予備選挙でジョン・F・ケネディの対立候補として立候補するも、党の大統領候補としてケネディが選出され、第35代米大統領に当選を果たします。43歳の若きライバル、ケネディの副大統領となることに同意し、その職に就いたジョンソンでしたが、副大統領の執務が国政の蚊帳の外に置かれていることに悶々とした日々を送っていました。
1960年に発足した民主党のジョン・F・ケネディ政権は、閣僚他スタッフに有色人種がいない事を批判されながらも、アフリカ系アメリカ人が人種差別の解消を求めて行った公民権運動 には比較的リベラルで進歩的な 対応を見せ、南部諸州の人種隔離各法を禁止する法案を次々に成立させます。しかしケネディは1963年11月22日にダラスで凶弾に倒れ、急遽リンドン・ジョンソン副大統領がその後を継ぐこととなります。
大統領に就任したジョンソンは、南部のテキサス州を地盤に持つ「保守派」として知られたものの、大統領就任以前から人種差別に対して否定的であり、ケネディの遺志を尊重し、公民権法を支持する立場をとります。(注記1)
実際にジョンソンは大統領に就任すると、これまでの上院議員としての長い政治生活、特に院内総務として培われて来た議会への影響力を最大限に働かせ、公民権法の成立に向けてキング牧師などの公民権運動の指導者らと協議を重ねる傍ら、南部諸州を中心とする保守議員(特に、師弟関係にあった南部出身のリチャード・ラッセル上院議員)らと真正面から争うことになります。彼らの強硬な反対に対して粘り強く議会懐柔策を進め、ついに1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定され、ここにリンカーンの奴隷解放に始まる100年間の長きにわたりアメリカで続いてきた法の上での人種差別の戦いは歴史的終わりを告げることになったのです。
ここまでが、実際の歴史、および一連の映画のあらすじでもあります。
・この映画の面白さとメッセージ
エンターテイメントとしてのこの映画の面白さは、「本当は実力が有るのに地味で冴えない主人公が、運命のいたずらとチャンスを得て、大活躍する」というヒーロー的痛快さがあるのは否めませんが、歴史上の実話に基づくジョンソン大統領の姿にある種の大きな組織における「リーダーシップ」の本質的な姿を垣間見た気がしました。
・リンドン・B・ジョンソンのリーダーシップ・スタイル 3つのポイント
その理由は、3つあります。
一つ目は、大きなビジョンと信念を持ち、訪れる転機に持てる能力を最大限発揮したこと。
過去のアメリカ大統領就任ケースの多くの例が示しているように1960年に副大統領に任命された時点では、おる意味で は、大統領になる運命はほぼ絶たれた、といってよいでしょう。 実際に、副大統領時代は、「忍従の想い」で公務を着実にこなしていたはずです。(注記2)しかし、突然の悲報という有事に直面し、国家の危機に対し迅速に行動します。そして、「補佐役」から転じて「指導者」としての役割を存分に発揮してゆきます。上院議員の院内総務として活躍してきた政治家としての実務手腕は、ピカイチで、アメリカ議会の内情を知り尽くしており、公民権法制定というアメリカの歴史的な難題の実現に向けてその能力を遺憾なく発揮します。 そして何より、一貫して「人種差別反対」という理想に対してビジョナリー (注記3)な立場を崩さなかったという点が素晴らしいと思います。
二つ目は、出身母体の利益代表に甘んじず、一段上の目的 から物事を観て行動したこと。
当時のアメリカは、人種による人権問題への対応について国際的にも後れを取っていると見做されており、「人権尊重、自由」を標榜する世界の覇権国としての解決すべき長年の懸案事項として「公民権法」の成立は課題でした。リンカーンが「奴隷解放」を実現したものの、その後の紆余曲折で実際には有色人種の人権は平等ではありませんでした。特に南部州ではアフリカ系アメリカ人に対する根深い偏見が続いており、北部、南部の対立構造というのがアメリカ議会でも鮮明であったわけです。
南部出身初の大統領として、就任当初は、多くの南部出身議員から期待されました。それはある意味で、南部諸州の利益代表としての期待であったと思われます。しかし、彼はその期待をいい意味で裏切ります。政治キャリアでは師匠である先輩議員リチャード・ラッセル上院議員に徹底した説得交渉を毅然と、粘り強く続けます。
三つ目は、先人の後を追うのではなく、先人が目指した理想の姿を追求したこと。
ジョンソン大統領の政策としての路線はケネディ大統領の路線の延長のようですが、アプローチは全く異なります。 議会との関係が円滑でなかったケネディは、法案制定に関しては時には強硬な方法を取らざるを得なかったと推測されます。公民権法制定という理想の姿に向かって、彼なりの創意工夫と戦略で実行に移していきます。ただやみくもにケネディの路線で公民権法を制定しようとしたら実現していなかったかもしれません。彼流のやり方で、上院下院、世論の共感を得る方法を進めたからこそ実現したと思われます。
・リーダーとしての自己成長とフォロワーシップの関係
あらためて整理しますと、副大統領という「補佐役」の立場から、大統領という「リーダー」の立場に移行したジョンソンのケースは、リーダーから見えている景色と視点という一方通行で論じているリーダーシップ論ではなく、フォロワーからリーダーへの立場の移行に伴うリーダー発達(注記4)という自己成長の視点を取り入れることで、組織の方向性の追求や物事の実現における成果創出や成功の確率が高まるということを示唆していると考えられます。
・フォロワーシップとは
ここで、リーダーシップは、未知なる環境やリスクへの統率力、ととらえると、フォロワーシップとは、リーダーシップを取る人を自律的かつ客観的、多面的に補佐する能力といえます。例えば職場で部下という立場の人が目的を共有するチームを機能させるため、上司やチームメンバーに対して、主体的に働きかけることを言います。
フォロワーシップを提唱したのは、カーネギーメロン大学ロバート・ケリー教授で、著書「The power of followership(指導力革命―リーダーシップからフォロワーシップへ) 」の中でフォロワーシップとその概念について表しました。
彼の研究における調査では、 組織における業務の成果に対してリーダーの影響力は10~20%に対してフォロワーの影響力は80~90%と大きく、成果の大きさはフォロワーの活動に左右されることが分かりました 。 この結論はたとえば、大規模事業投資の成果がリーダーの意思決定のみに依拠するのではなく、その前後の多くの組織のメンバーの貢献、働きに依って成りたっていることを考えれば、自然に納得できるポイントであると思います。
その結果、フォロワーシップに欠かせない要素には、「 組織に対する貢献力 」と「 リーダーに対する批判力 」の2つがあり、共に高い状態で発揮してリーダーシップを補完することが模範的フォロワーシップであるとしました。
・我々は皆、リーダーでありフォロワーである
より良いフォロワーシップを発揮することは組織全体に良い影響を及ぼす事はもちろんですが、ここで重要な視点は、リーダー、フォロワーという固定的な役割論ではなく、一個人としてみた場合にも、場面や役割に応じてリーダーシップとフォロワーシップという概念を積極的に意識することが有効であるという点です。 なぜならば我々は皆、組織や社会において多くの役割を担っていて、ある時はリーダーであり、またある時はフォロワーである、と言えます。
リーダーとして仕事をしている時も、フォロワーとして考えてみる、フォロワーとして仕事をしていてもリーダーだったらどう考えるか、という視点で見てみる、といった感じでしょうか。
組織全体の総合力やパフォーマンス最大化、価値創出最大化という観点からもリーダーシップは一部の人間だけのものという視野狭窄から離れ、すべての人に内在する可能性を持っているとも気づかせてくれる視点です。
持続的成長を遂げる伝統を持つ組織の強さとは、多くの実際のロールモデルとなる先輩たちの存在もさることながら求めるべき理想の姿、実現したい世界観を共有できるリーダーとフォロワーの連鎖としての世代継承がうまくいっていることに他ならないと思います。
(名田秀彦)
注記1:政権初期には、公民権法の早期成立に向けて議会をまとめることに努め、議会との関係が円滑でなかったケネディに比べて巧みな議会工作で法案を可決させ、その他にも内政においては達成した政治課題が多く、ジョンソン政権は同じ民主党のルーズベルト政権と並んで「大きな政府」による社会福祉や教育制度改革、人権擁護を積極的に推進した政権であったといわれている。
注記2:副大統領は通常大統領の補佐であって、政権内部でリーダーシップを取ることはなく、この時ジョンソンの政治指南役で同じテキサス州のサム・レイバーン下院議長は副大統領候補を受諾したジョンソンに失望したとされ、フランクリン・ルーズベルト大統領時代に副大統領を務めた同じくテキサス州出身のジョン・ナンス・ガーナーは「副大統領なんぞ、たんつぼほどの値打ちもない」とジョンソンに語っている。実際に、アメリカ合衆国副大統領から大統領になった人物は数人しかいない。
注記3:先見の明があり、事業などの将来を見通した展望を持っていること
注記4:リーダーの成長過程に関連するこれまでの研究は,(a)リーダーとしての潜在的な対人関係能力向上を視野に入れたリーダーシップ開発(leadership development),(b)自己の気づきや特定の課題遂行スキルなどに焦点を当て,リーダーの個々の発達に注目したリーダー発達(leader development)の二つに区分される(Day, 2000)。
前者が教育や機会をリーダーに与えることによってリーダーシップ機能をブラッシュアップさせることという意味で用いられるのに対して,後者はどちらかといえばリーダーが自ら学び研鑽することによってリーダーシップ機能を成長させていくという意味で用いられる。