4月になり、ご自身または周囲の方のご異動や組織改編など、所属する組織に少なからず変化があった方がいらっしゃるのではないでしょうか。本コラムでは事業価値を最大化する組織とはどのようなものか、そしてそのような組織を創り出すために私たちは個人として何ができるのかについて、世界的ベストセラーであるスティーブン・R・コビー著「完訳 7つの習慣 人格主義の回復」の内容を取り上げながら検討したいと思います。本書は約30年前に著された書籍「7つの習慣」を、コビー氏が亡くなった1年後の2013年に改めて和訳したものです。

 本書では個人の成長は「依存」「自立」「相互依存」の3つの段階を経るとされています。そして、最終段階である「相互依存」に至り、公私ともに充実した生活を手に入れるために我々が習得すべき習慣が「7つの習慣」として示されています。さて、読者の皆様は人間関係の成熟した形が「相互依存」であるという主張を直観的に受け入れられるでしょうか。「相互依存」とはどのような状態であるのかを、成長段階の初期である「依存」と最終段階の「相互依存」がどのように異なるのかに着目して、紐解いてまいりましょう。「依存」とは乳児のように他者に食べ物を与えられたり、世話をしてもらったりしなければ生きていくことができない状態です。我々は誰もがこの「依存」状態で生まれてきますが、段々と経済的にも肉体的にも自分で自分の面倒が見られるようになります。この状態が「自立」です。我々がいつまでも家族など周囲の人間に依存せず自立を選択するのは、依存状態とは依存先に自らの運命を委ねる不安定な状態であり、自立をした方が確実性の高い生活を送れると考えるからです。しかし、著者は自立状態を成熟のゴールとは考えません。社会とは相互依存的な分業制で成立しており、私たちは自立しているように見えても社会という仕組みに依存しているのだから、その社会という単位の中で自らの能力を最大限に発揮するのが真に成熟した状態であり、それこそが「相互依存」だというのが著者の主張です。著者は、「依存」から「自立」へ移行するフェーズよりも、「自立」から「相互依存」へ至るフェーズの方が骨が折れると考えます。確かに私たちは学校や社会で他人に迷惑をかけず自活するよう指導されることは多々ありますが、自らの属する社会が相互に助け合う形で成立しており、自分もその場で価値を提供するべきであると説かれる機会は少なく、さらにどのように価値を提供するかについて考える機会はもっと少ないのではないでしょうか。

 本書では、タイトル通り「相互依存」に至るために身に着けるべき7つの習慣が紹介されていますが、その内3つ目までが自立し、個人的な成功を収めるための習慣で、4つ目から6つ目までが相互依存状態に至り、公的成功(組織にとっての成功に貢献すること)を収めるための習慣です(最後の7つ目はそれぞれの習慣の効果を加速させるための習慣です)。著者は、社会と相互依存関係を構築した個人は、自らのアウトプットを最大化するだけでなく、属する組織のアウトプットも最大化できると考えています。「相互依存」状態で目指すことのできる公的成功は、他者を打ち負かして手にする勝利でなく、関わる全員に利益をもたらす勝利を指します。公的成功には、組織内の個人が協力し、コミュニケーションをとりながら、各自がばらばらにやっていたらできないことを行う必要があります。私たちはこの「相互依存」状態の組織において、生産性を飛躍的に伸ばす機会を得ながら、同時に他者に奉仕し、貢献し、学び、成長する喜びを与えられるのです。

 著者は個人や組織の生産性を高めるために、「P/PCバランス」を重要な原則としています。「P/PCバランス」のPはProductionの頭文字で、今このときに出す成果のことです。それに対してPCはProduction Capability、つまり成果を出すための資産や能力です。本書ではPはガチョウの卵、PCはガチョウ自体と例えられています。直接利益をもたらすものは卵ですが、ガチョウ自体が健康でなければ卵は得られず、できるだけ多くの卵を得るという目先の視点とガチョウに無理をさせず健康を保つという長期的な視点の両方のバランスを最適化させるのが「P/PCバランス」の考え方です。P/PCバランスが重要であることは誰もが気づいているはずですが、実際にバランスをとるのは容易ではなく、本著ではその例として、売れ筋の商品(P)の利益率を上げるため、価格と品質はそのままで内容量を減らし、顧客からの信頼(PC)を失ってしまった例が挙げられています(文末のリンク先では、「ROIC(投下資本利益率)」の説明記事ですが、財務的観点から短期的利益の確保と長期的な事業の成長のバランシングについて言及されています。よろしければご参照ください)。

 社会や組織のアウトプットを最大化しようとする時、Pは個人間の交流によって生じるシナジーであり、PCはその組織内の信頼関係にあたると著者は考えます。つまり、信頼関係を育むことが組織のアウトプットをより良いものにするということです。本書では、信頼関係の構築は、口座預金のように貯蓄したり引き出したりできるものという意味で、信頼「口座」への預金と例えられています。日々の行動で誰かに礼儀正しく、親切に接すれば信頼口座の残高が増えます。残高があれば必要な時にそれを引き出す、つまりその人を頼りにすることができますし、もし何か信頼を損なう失敗をしてしまったとしても、口座からの引き出しによって補うことができるかもしれません。信頼関係がなければ、頼りにできる信頼口座の残高がないので、言葉一つに気を遣い、相手の顔色を窺わなければなりません。そのような状態でシナジーなど生まれるはずがないと著者は考えます。では、信頼関係を築くためにどのようなアクションが必要なのでしょうか。著者は、信頼口座への一番の預け入れは「口を挟まず黙って話を聞くこと」であるとし、話を聞くという行為は相手を一人の人間として尊重していることを態度で伝えるアクションであるとしています。本書では信頼関係に満ちた組織を作るのには時間がかかるとした上で、信頼関係を構築するために、相手を理解する、小さなことを気遣う、約束を守る、期待を明確にする、誠実さを示す、(信頼の預金を)引き出してしまったときには心から謝るというアクションが挙げられています。

 会社組織は利益(P)を生み出し続けることを目的としており、そのため家族や友人など居心地のいい関係を作ること自体が目的である関係よりもPC、つまり信頼関係を養うことが後回しにされやすいように感じます。だからこそ一見当たり前と思えるような信頼を貯金する行動を習慣化し、組織の信頼関係を育むことが、将来のアウトプットに大きく貢献するのではないでしょうか。新しい業務やミッションで早く結果を出そうと気が焦る時こそ、ガチョウの卵だけでなくガチョウ自身に目を向けることでヒントが見えてくるかもしれません。

(井倉 未紗子)

参考:ROIC(投下資本利益率)について(https://ontrack.co.jp/f-terms/roic/