新型コロナの影響で、落ち着かない日々が続いています。
それでも長い目で見れば、我々の暮らしはこれからも続くということに、変わりはありません。
事業経営においても、今までと変わらずに、これからも重要なことがあるはずです。
そこで、今月号のコラムでは、時代を超えて重要な示唆を与えてくれる名著に基づいて考えてみたいと思います。

今回のコラムで取り上げるのは、小倉昌男氏の「経営学」です。初版は1999年ですが、既に44刷を重ねていますので、とても多くの方に読まれてきたことがわかります。小倉氏は、ヤマト運輸の宅急便事業を、全く実績のないアイデア段階から、我々の生活に欠かせない巨大事業にまで育て上げた名経営者です。

本コラムの筆者の視点から、以下の3つのポイントについて紹介したいと思います。
1.事業の仮説を明確にし仮説を修正しながら事業を進める経営(以下、仮説経営とします)
2.学習を経営に生かすこと
3.企業の目的

まず、仮説経営についてですが、仮説の立案から事業展開までのプロセスが、宅配便事業の実経験として、本書で詳細に語られている点が、大きな学びになりました。
例えば、小倉氏の仮説経営の経験談は、このように始まります。

「郵便局だけが独占する個人宅配市場にどう切り込むか。全国規模の集配ネットワークを築けばよいと仮説を立てた私は、視察に訪れたマンハッタンの街角で活躍するUPSの集配車を見て、成功を確信した。」

小倉氏が、ニューヨークに出張した際に、アメリカ最大の運送会社UPSのトラックが交差点の4つ角に、それぞれ1台ずつ停まっていました。それを見た小倉氏は、そうか、1ブロックをトラック1台が担当しているのか、と気付きます。だとすると、トラック1台当たりで採算がとれる担当面積(集配を担当する地域の広さ)が考えられているはずだ、と考えたのです。

この発想は、今でこそ当たり前のように思えるかもしれませんが、宅急便以前の運送契約は、工場からの製品出荷など、大口で定型的で反復するものが主流で、運ぶ荷物があるからトラックを用意する、という考え方でした。トラックの採算が合うように荷物を集める、という発想はそれまで無かったのです。小包等の小口は、郵便局がほぼ独占しており、一つ一つ小包を集めて遠方で一つ一つ配達するなんて、採算が合うわけがないと考えられていました。

ニューヨークで1ブロックにトラック1台、という状況を観察した小倉氏は、日本ならどうだろう、と考えました。本書では、小倉氏が東京都中央区を例として考えたプロセスが紹介されています。東京都中央区は、面積が約10平方キロです。トラック5台ならぎりぎりカバーできる面積ですが、担当面積が広くて多くの荷物を集配することはできません。

では、車両を2倍にしたらどうなるか。担当面積が半分になるので、集配能力は2倍になります。事業が伸びて、中央区に50台のトラックを配置できれば、1台当たりの担当は0.2平方キロ(500メートル×400メートルの広さ)です。このぐらいの狭さであれば、1日に1台で100個くらい扱えるだろう。このように考えて、小倉氏は、儲かるはずだ、と強く確信したと述べています。

更に、宅配便事業の最も重要な仮説は何か、ということも考察されています。
宅配便事業全体については、トラックだけでなく、拠点となる設備・営業拠点やシステム投資など、なかなか複雑です。しかし、費用面はほとんど固定費です。すると、売上をどこまで伸ばせるかが、事業の勝負どころになります。

宅配便事業は「一台当たりの集配個数をいかに増やすかにかかっている」と小倉氏は述べています。我々は何に賭けているのか、とは、弊社が皆様にご提案している仮説指向計画法(DDP: Discovery Driven Planning)における重要な問いかけです。小倉氏は、重要な仮説を見事に絞り込んでいたことに、感銘を受けました。

また、小倉氏が仮説経営を当たり前のように実践していたことは、以下の記述からもうかがえます。
「経営における予測は、それほど難しいものではない。事前に計画の段階だけではなく、実施に移った後に、試行錯誤しながら条件を変化させてゆき、微調整をしながら計測していけば、そんなに違いなく結果を予測できるものである。むしろ試行錯誤のやり方が大事なのである。」
仮説を管理することによって、予測の精度が高まるということなのです。

2つ目のポイントの、学習を経営に生かすことについては、本書の一章に「私の学習時代」という章があることをはじめとして、小倉氏が実践してきたことが詳しく解説されています。学習を重視している姿勢に、圧倒されます。そして、学習を生かすために、自社以外の事業の特徴を解釈し、わかりやすく共有する表現が、実に素晴らしいと思いました。

例えば、宅配便事業を、電話事業にたとえて説明しています。最初は投資が多く、儲かるはずがない。しかし、電話がネットワークとして機能するようになり利用者が増えることによって儲かるようになったのだから、宅配便事業も荷物が多くなれば儲かるはずだ、というように説明しています。

何でも運べる運送業者がよいのだろうか、牛丼の吉野家のようにメニューを絞り込んだほうがうまくいくのではないか、と考えたことも紹介されています。また、トラックの運転手に、現場の業務すべてを一人でこなしてもらうために、寿司屋の職人になってほしい、と説明しています。今までの運送業では、デパートの食堂のように、食券を売る人、注文を取り次ぐ人、料理を作る人、運ぶ人など分業制だったところを、寿司屋の職人のように、市場での仕入れ、お客様へのおすすめ、提供、気配りと何でも一人でやるようになってほしい、と説明したそうです。

自社の事業を考える際に、アメリカのUPSのような同業他社から学ぶだけでなく、電話や外食産業のような、自社から離れたところからも広く学ぶことは、近年の経営学者の研究によって、価値を生みだすアイデアをもたらすことが指摘されています。

近年、両利きの経営として、知の探索という、範囲を広げて行く学習と、知の深化という、既に得られている知識を掘り下げていく学習の両面が注目されています。知の深化は、既存事業の延長として実践しやすいのに対して、知の探索は現在の事業に直結しないため、どこまで広げればよいのか、大変難しい問題です。

この問題に対して、トロント大学のサラ・カプランらは2015年の論文で、広い範囲の知の探索は、経済的な価値を生み出すアイデアをもたらす、と指摘しています。(注1)小倉氏の広範な知の探索は、宅配便事業の成功に貢献した可能性があります。知の探索の範囲を広げることは、成果が見えにくい投資を増やすことが難点です。このような不確実な投資も、仮説を立てて管理していくことによって、実行しやすくなるのではないでしょうか。

3つ目のポイントの、企業の目的について、小倉氏は、「企業の目的は、永続することだと思う」と述べています。「企業の存在価値は利潤を生みだすことにある、と割り切るわけだが、はたしてそれが正しい考えなのであろうか。私はそうは思わない。」と言い切っています。

小倉氏は、ヤマト福祉財団を設立し、社会福祉の増進に取り組んだことが知られています。企業は社会の一員であり、株主も重要だが、多くの社員を雇用し、社会に有用なサービスを提供することが大切である、という考えに強く共感しました。

企業は株主のものである、という考え方が、近年修正されつつあります。実際のところ、法律上は、企業は株主のもの、と決められているわけではありません。顧客・取引先や社員に感謝し貢献することによって、株主にも貢献できるのだと思います。

宅配便事業は、ヤマト運輸が順調に成長する過程で生まれたのではありません。他社との競争に負け、業績が悪化していく状況を打開するために考案されたことが、小倉氏から率直に語られています。苦しい状況でも、会社が生まれ変わるような事業の創造が可能であることを鮮やかに示し、大いに勇気を与えてくれる一冊だと思います。

(小川 康)

参考文献:小倉昌男「経営学」日経BP社
(注1)入山章栄「世界標準の経営理論」ダイヤモンド社 pp.245-247.