こんにちは、コンサルタントの春原(すのはら)です。今回のコラムは書籍「ゴールドマン・サックスM&A戦記」(注1)を通じて、普段は背景が公開されにくいM&Aについて、リアルな舞台裏を読者の皆様とご共有させて頂きたいと思います。本書の著者は1998年から2003年までゴールドマン・サックス証券のマネージング・ディレクターとして日本のM&A史に残る大型M&A案件でフィナンシャル・アドバイザーを務めた服部 暢達氏です。

 書籍はM&Aに関する内容が100%ではなく、M&A30%、投資銀行のワークスタイル30%、著者の自伝30%、その他10%といった内容で、純粋な読み物としても面白い内容となっています。本コラムでは、残念ながら全てのエピソードをご紹介できませんが、著者の印象に残ったM&Aのエピソードについて数件取り上げながら、M&A現場のリアルを皆様と見ていこうと思います。

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【DDI・IDO・KDD三社合併】

 1990年代後半に日本の通信業界は合従連衡の一大ブームを迎えていましたが、著者が積極的に再編を仕掛けてマンデートを取った案件として非常に印象に残っているのが、第二電電(DDI)、日本移動通信(IDO)、国際通信電話(KDD)の三社合併で、1999年12月に正式発表され、3社が実際に合併したのは2000年10月でした。この3社合併の交渉の過程で著者が最も印象に残っているエピソードとして、DDI創業者の稲盛和夫氏とのやり取りが記載されています。

 当時KDDの株価が高騰し、利益が4分の1になっても株価は4倍となっている状況から、著者は「KDDの時価総額はフェイクです。それは理論的に容易に証明できますし、時価総額の半分以下での評価でもかなり高いぐらいです。そういう線で交渉すべきです」とDDIの取締役会で説明を行いました。DDIの幹部はみな納得したようだったが、稲盛名誉会長(当時)だけは違い、著者に次のように言いました。「服部さん、KDDに『お前の株価は間違っている』と言え、ということですか?それはやめましょう。KDDにもプライドがあるでしょう。株価は間違っていても、やはり株価です。株価通りで行きましょう」

 合併後もDDIはKDDと一緒に仕事をするのであり、KDDのプライドを打ち砕いてしまっては、たとえそれが正しい主張でも遺恨を残す。著者は自身の浅はかさと未熟さを思い知り、目から鱗が落ちた思いであったと述べています。

【AOL日本法人の再編】

 テクニカルに示唆に富んだ案件として、アメリカ・オンライン(AOL)の日本法人AOLジャパンに対するNTTドコモの資本参加案件を書籍で紹介しています。この案件は2000年10月に発表されています。AOLという会社は、まだネットバブルの残り香があった当時、時価総額が20兆円程度あり、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。だから、売上もほとんどなく赤字であるAOLジャパンの株主価値を少なくとも1000億円はあると主張していました。

 そこで著者のチームのアドバイスに基づき、ドコモはAOLジャパンの価値1000億円を認める代わりに、「霞に対しては霞で対抗する」という極意に従い、その1000億円の会社は日本トップの携帯電話会社のドコモが出資すれば、そのドコモのiモードにAOLのコンテンツが載るので、そのニュースだけでAOLジャパンの価値は2倍、少なくとも1.5倍の1500億円にはなると主張しました。そこでドコモのネームバリューとして500億円の価値増大を認めさせ、175億円の現金支出(評価額1,500億円としてドコモの出資比率45%に対して675億円が必要なところ)に抑えることに成功しました。

 なんともネットバブルの匂いがプンプンする話ですが、これを素直に実行しようとするとドコモがAOLジャパンの株式を低廉譲渡された、とみなされて、ドコモに受贈益課税が発生する可能性があり、これを回避するためにAOLジャパンの共同株主に共同事業契約に対する違約金を支払うなどの処理が必要になったとのことです。

【ロシュの中外製薬買収】

 著者が非常に印象に残っている案件として紹介されたのが2001年12月10日に発表された当時、世界12位の医療用医薬品メーカーのロシュ(スイス)が日本の第10位の医薬品メーカーの中外製薬の50.1%を買収した案件です。この案件の特異なところは、中外製薬がロシュに買収されるにあたり、まず声をかけたのがロシュではなく中外製薬側であったということで、日本の会社が自ら資本提携を提案するというのは非常に珍しいです。しかも、中外製薬は2000年3月期の連結売上が1995億円、連結営業利益が300億円というピカピカの優良企業でした。

 このように業績好調の中外製薬がなぜロシュに資本提携を提案したかといえば、当時の永山治社長の遠大な計画が根底にありました。永山氏は国内Top10の一角にある中外製薬を武田薬品工業と国内首位を争うような会社に脱皮させたいという野心を隠さない、アグレッシブな経営者であったと記載されています。

 目標達成には中外製薬単独では不可能だから、世界の大手Top10の一角と資本提携して、その潤沢な研究開発費から生まれる豊富な新薬群を中外製薬の強いMR(医療用医薬品の営業マン)体制を使って国内市場で売りまくり、加えて中外製薬の研究開発から生まれる新薬も世界市場で売れば、互いにWin・Winの関係を構築できる、という考えでした。ただし、海外大手に100%買収されてしまうと自主性を発揮できなくなり、中外製薬がこれまで培ってきた独特の強いMRと強い研究開発力という社風が損なわれてしまう懸念があるので、支配権を渡すことは呑むが、同時に一定の独立性を担保するために50.1%の買収に留めて、上場を維持したいという戦略的提携(注2)を実現しました。この世界的にも非常に珍しいビジネスモデルを現在も競争力の源泉として維持されています。

 その結果、この戦略的提携開始から19年弱経過した現時点で、日本の医薬品業界の第6位(注3)の売上高6,862億円、営業利益2,249億円(2019年12月期)となり、直近では国内上場企業・時価総額ランキングで第5位(2020年7月1日時点。注4)にまで躍進しました。

 手前味噌で恐縮ですが弊社も同社と10年以上長くお付き合いをさせて頂き、2015年開催の弊社主催フォーラムでもご講演(注5)を頂戴しております。

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 日本のM&A史に残るM&A交渉の舞台裏は如何でしたでしょうか?書籍の内容についてのご紹介は以上ですが、最後に、M&Aの現場で欠かせないバリュエーション(ビジネス・デューデリジェンスに基づく価値評価)について触れさせて頂きます。書籍ではM&Aでの価格交渉について、個別案件ごとにロジックが記載されておりましたが、基本的には簿価や株価をベースに議論されています。

 実際のM&A交渉の場でも簿価や株価が買収価格決定に大きな要因になると考えますが、併せてDCF法という将来キャッシュフローに基づいた事業価値算定法も世界的に標準となっております。このDCF法は、将来どのような収益が期待できるか、具体的に時系列で収益予測を行うもので、総合商社でのM&A案件では事業計画とみなされます。このDCF法で算出した事業価値が簿価・株価と併せて、買収するか否かの判断金額となりますが、都合の良いシナジー効果を金額に加えると、後で買収金額を回収できず、場合によっては巨額の減損処理に陥る原因となります。

 そこで弊社が皆様にご提言したいことは、このDCF法の根拠となる要因と数字を「仮説」と考え、この仮説をM&A実行後も、事業現場と合意しながら何年も継続管理していくことです。また当然ながら、M&A実行時に高値掴みをしてしまうと、その買収金額を回収しようと無理な事業計画を実行しようとし、結果事業を破壊してしまうことにもなるので、買収価格算定時のDCF法での評価と仮説が肝になります。M&A交渉では短い期間で、自社の経験・知識が無い事業について評価・計画することもありうるので、如何に事前に準備しておくかがM&Aの成否を分けると言っても過言ではありません。

 弊社では仮説指向計画法という考え方と、DeRISK(デリスク)という業務システムで、上記の課題解決のソリューションを皆様に提供しておりますので、ご興味がございましたら、是非弊社ホームページからお問い合わせ頂ければと存じ上げます。皆様のM&Aやビジネスの成功確率向上にお役に立つことを、心より願っております。

(参考文献)

(注1)『ゴールドマン・サックスM&A戦記』(日経BP社出版、2018年)

(注2)『ロシュ社との戦略的提携』(中外製薬・ホームページ)

https://www.chugai-pharm.co.jp/ir/individual/roche_alliance.html

(注3)『国内医薬品業界・売上ランキング』(Ullet・ホームページ)

http://www.ullet.com/search.html#group/8

(注4)『国内上場企業・時価総額ランキング』(Yahoo!ファイナンス・ホームページ)

https://info.finance.yahoo.co.jp/ranking/?kd=4&mk=1&tm=d&vl=a

(注5)『ビジネスシミュレーション フォーラム2015』(弊社ホームページ)

https://www.integratto.co.jp/seminar/bsf201512/