「KKD」という浮き沈みの激しい言葉を、ふと思い出しました。

KKDをご存じの方は「DDPを語る会社(弊社)がKKDを語るなどけしからん」と思われるかもしれません。KKDは一時期、悪しき日本の伝統的な経営形態という視点で語られることの多かった言葉です。

KKDというのは何の略か、というと K【経験】 K【勘】 D【度胸】 であり(一説には気合、根性、努力といわれたりもしますが…)、実は日本語の頭文字から取ったキーワードです。事業を行ったり、計画を立てたりするときに個人の蓄積してきた経験、勘、度胸をもとに様々な判断を行うのがKKDと呼ばれる考え方です。
聞いたことがない方の中にはふざけているのかと思われる方もいるでしょうが、実社会では現在も深く息づいています。中小零細企業やオーナー企業などでは事業そのものが社長のKKDだけで回っている、などというパターンも珍しくありません。
実はIT関係の業務でも「KKD法」などと呼ばれ、工数見積もり等では現在もよく利用されています。
工数見積もり等を行う際に、個別のパーツの正確な工数の蓄積を行っていたのでは時間がかかるうえ、一般的な定義に基づく工数算出ができない場合がある。またどちらにしても未来の工数のため正確なものは出せない。それであればプロジェクト・マネージャーの経験と勘をもとに、大まかな工数を素早く算出する。これがIT系の業務で利用されているKKD法の概要です。

しかしなぜ突然「KKD」という言葉を思い出したかのかというと、丁度そのとき「意思決定」ということについて考えていたからです。
私たちインテグラートは新規事業における事業計画に関するコンサルティングを生業としており、「未来の事業計画を予測」し「未来の事業計画について意思決定する」場に多く居合わせますので、その関係上「質の良い意思決定」とは何なのか?という事を考えることが多くなります。
意思決定する上での「経験」は分かる、「度胸」も理解できる。じゃあ「勘」って何だ…

ここで表題に戻るのですが、「ナポレオン」です。
実は経営戦略という視点では、ナポレオンというのは古典的に研究されている人物です。常勝、国民皆兵、軍団制、ナポレオン法典等、彼が世界史に残してきたインパクトは非常に大きく、21世紀になった今でも私たちの社会の基盤に深く根付き、戦略、経営、政治等の様々な観点から研究される、非常に人気のある人物です。(戦争の歴史からそういった観点を学ぼうという姿勢は欧米に限らず人気ですね。日本も同様に戦国や幕末といった戦乱の絶えなかった時代が不動の一番人気であり続けています。)
研究という観点を抜きにしても、その魅力的な人物像や行動は、数々の書籍や映像を通じて私たちに大きな影響を与え続けています。

ナポレオンが頭角を現したのはフランス革命勃発後の1790年代です。人民による政権奪取であるフランス革命はフランス以外のすべての国が専制政治だったヨーロッパ中を恐怖に陥れ、フランスの周辺は全て敵という状況を生み出しました。(第一次対仏大同盟)ナポレオンはそんな時代に陸軍中尉としてキャリアをスタートさせ、僅か10年程で皇帝にまで上り詰めるのですが、彼をそこまで押し上げたのは、一義的には彼が50以上に及ぶ会戦の全てを勝ってきた「戦争の天才」だったからでした。

ナポレオンの強さは彼の生きている時代から研究の対象になりました。戦略「strategy」という「英語」が生まれたのもこの時期だといわれています。

では何故ナポレオンは勝ち続けることができたのか?
勿論徴兵制や軍制改革といった革新的な政策の影響もありますが、逆に言えばそれだけで50もの会戦に勝ち続けられるほど戦争は簡単なものではありません。軍事行動とは不確実性や蓋然性に支配されるものであり、一般的な戦略というのは局地的な勝敗を繰り返しながら最終的に大局として勝利する。というものです。(この辺の感覚は日本人だと太平洋戦争の推移を思い出していただくといいかもしれません。)しかし現実としてナポレオンはロシア遠征まで負けることはありませんでした。

ナポレオンの軍事行動を追っていくと面白い特徴が浮かび上がってきます。
それは戦うところを前もって決めておいて戦うのではなく、状況の変化に合わせて、柔軟に目標を設定・変更している。ということです。勝利の見込める戦いを見極め、勝利を見込めないと判断した戦場は素通りする。イタリア遠征、エジプト遠征といった大きな目標の中で、いつどこで戦うべきか、という事を彼は的確に見極めていました。

ただ問題は、「どのように勝てる戦場と勝てない戦場を見極めていたのか?」という点です。
ナポレオンと同時代を生きたプロイセンの軍事学者であるカール・フォン・クラウゼヴィッツは「戦争論」の中で、この問いについて考え、考え抜いた末、「軍事的天才」という表現を以て回答しています。同じ状況を与えられたとしても再現性が取れない成果を得られる軍事的指導者を「天才」と称したのです。

クラウゼヴィッツのいう「天才」とはどういった人物か?
クラウゼヴィッツの定義する「軍事的天才」の条件を要約すると、「直観」と「戦争の歴史から得られるもの」そして「決断力」などの精神的要素を同時に持ち合わせ、状況に応じて的確に活用できるもの、としているようです。言い換えると「戦争の歴史と現在の戦況を直観的に結び付け、瞬時に勝てる戦闘、勝てない戦闘を見極める力」と「決断する力」を持ち合わせる人物ということになります。

ナポレオンの天才的才能とは単純な「戦いに勝つため直観」を持っているという才能ではなく、「(士官学校時代に積み上げた)過去の戦争の歴史に関する知識と、現在の戦況を結びつける直観を持ち、それを基に意思決定できる」という才能でした。
こういった希少な素養を備えた人物が、若くしてフランス軍を率いる立場を得たという社会情勢が、ナポレオンという奇跡の英雄を生み出したといえます。

クラウゼヴィッツの挙げた「天才」という概念が「直観」「経験」「決断力」だとすると、KKDのロジックと奇妙な類似性が見えてきます。あらゆる計画において、計画とK【経験】 K【勘】 D【度胸】が有機的に結びついたときに大きな成果が得られるであろうことは、ナポレオンのみならず多くの成功者がその歴史で証明してくれています。

しかしこの三つを有機的に結びつけるのは意外と難しいものです。経験(知識)があっても直観と結びつかない、直観があっても決断できない。
KKDの問題点はその結びつきを個人的な才能に依存している点にもあります。

歴史がKKDによって作られてきた以上、KKDというフレームワークを否定すること自体に意味はありません。
しかし現実問題として私たちはナポレオンではありません。(私はナポレオンだ!という方は申し訳ありません…) 事業計画の分野では新規事業の大半が下振れし、スタートアップの大多数が数年で消えていく現実からみても、KKDだけを頼った事業計画は多くの場合、望んだ結果は得られていないようです。

ナポレオンの天才的才能が私たちに無いのであれば、無計画なKKDはただのギャンブルにすぎませんが、一方で企業としては例え凡人の集合体であったとしても成長を求め続ける必要があります。
凡人の集合体が一人の天才に依存せず、企業の仕組みとして新規事業にチャレンジし続けるには「質の良い意思決定」を行うための議論と継続的なチェック体制が欠かせません。

新規事業においては、既存事業をそのまま回すことに比べると大きな不確実性にさらされており、数値を基に事業計画を作成していたとしても、そもそも根拠となる数値そのものがKKD的にはじき出されたものであることも多いです。
組織として事業計画を成功に結び付けるためには勘の部分を仕組みとしてアップデートするという方法もあります。事業構造を論理的に分解し、様々なシナリオを基に議論を重ねることで、勘に頼る部分を大きくフォローすることもできます。

ただそういった事業計画を綿密に分析し議論したとしても不確実な未来においては「勘」が外れてしまうこともまた避けられない未来です。
我々凡人にとって大切なのは、「勘」が外れる確率を下げるために分析・議論を尽くすと同時に、「勘」がもし具体的にはずれたとしても、具体的な打ち手を持っておくことです。外れた時にどうすればいいのか、早く外れたことに気付くためにはどうすればいいのか。

もしそういったお悩みを抱えている読者様がいれば、私たちインテグラートの無料のオンラインセミナーに一度参加してみてください。
ナポレオンのように常勝とまではいかなくとも、組織として負けない、少なくとも大きく負けない事業計画を作っていくことは決して不可能ではありません。

渡邊 淳一郎

参考文献:
ナポレオンの直観 「戦略」の秘密を解き明かす10の物語
William Duggan (著), 星野 裕志 (翻訳)
戦争論
Carl von Clausewitz (著), 清水 多吉 (翻訳)