SNSの海を目的もなく漂っていると、時折「どうしてこんなことを本気で信じているのだろう?」と首をかしげたくなる事案にぶつかることがあります。
なかでも最近特にインパクトがあったのが「アメリカ大統領選挙で大規模な不正が行われた」というトピックスでした。
「ドミニオン社の集票機器に不正がされていて、270万票のトランプ陣営の票が失われた」という趣旨のトランプ大統領本人のツイートが発端となり、SNS界隈や各種メディアで取り上げられ大騒ぎになりました。
殆どの人は笑ったり呆れたりしたと思います。しかしこのトンデモ説を信じた支持者による連邦議事堂の襲撃が発生したことは、世界に大きな衝撃を与えました。
元々大統領選挙で負けた陣営が再投票・再集計を要求するというのは、風物詩のようなもので特に物珍しくはないのですが、今回は現職大統領自らが根拠のない陰謀説をでっちあげ、それをSNS経由で一定数の支持者が本気で信じ、ある意味テロ行為ともいえる襲撃事件にまで発展したという点が非常にユニークな点だったと言えるのではないでしょうか。
また、このトランプ大統領の荒唐無稽な陰謀論が、何故か太平洋を隔てた日本のSNSでも一定の支持を経ていたのも印象に残っています。
こういった、冷静に考えるとちょっと信じられないことを信じてしまう時、人にはイデオロギーとか社会への不満などの、何らかのバイアスがかかっている場合が多いように感じます。
※以下の論考は、歴史的にセンシティブな内容を含みますが、歴史修正主義と政策論を論じるための引用であり、歴史的事実に対する弊社または筆者の見解を主張する目的ではないことを付記させていただきます。
そういった信じられない言説のなかで昔からあるものとして、「ホロコースト(ナチスによるユダヤ人虐殺)は無かった」などの歴史修正主義が挙げられます。
ホロコースト否定論自体は冒頭に挙げた「ドミニオン社の選挙不正」と同レベルで荒唐無稽としか言いようのない話ですが、この否定論はそのイデオロギー的な側面から、戦後80年たった現在でも熾火のように燃え燻っています。
ホロコースト否定論には収容所の技術的な側面からの主張と政策論的な側面からの主張があるのですが、今回はよく出てくる技術論ではなく、政策論の一つにスポットライトを当ててみたいと思います。
「ホロコーストは無かった論」を語るときによく出てくる政策論的な論点として、
【ヒトラーのユダヤ人「絶滅」に関する指令書がひとつも存在しない一方で、ユダヤ人「追放」に関しては公文書が残っている】という点があります。
実は【】の部分、これは正しい情報です。確かにヒトラーがユダヤ人「絶滅」に関する指令を出した物的証拠はない一方で、(マダガスカル島などに)ユダヤ人をまとめて追放・隔離する計画があったのも有名な話です。
1942年のヴァンゼー会議で決定された「ユダヤ人問題の最終的解決」が絶滅政策の開始とするのが通説ですが、そこでも絶滅、殺害といったキーワードは出てきません。
現在の結果を知っている我々は「最終的解決」から絶滅政策を容易に連想しますが、物事が起こる前の「最終的解決」という表現から絶滅政策を連想できるか、というと確かに連想することは難しいでしょう。
ここからホロコースト否定派は(収容所の技術的な問題等と合わせて)「具体的な指令もないし、物証もないし、ユダヤ人にある程度の死者が出たこと自体は残念だが、絶滅政策そのものはなかった可能性がある」という仮説を立てます。
この仮説を聞くと「一理ある」と思われる人も一定数出てくるのではないかと思います。
しかしこれは、正しい情報から誤った結論に至る典型的な例です。
だとすると何故、正しい情報から誤った結論に至ったのでしょうか?
今回の仮説には、以下のような問題が考えられます。
① この仮説の全体像は把握できているか?
まず前提として、このユダヤ人大量虐殺については、私たち日本人にとってはあまり詳しくない領域です。あまり詳しくない領域についてはどうしても情報が断片的にならざるを得ません。そして断片的な情報から全体を判断しようとすると、たいていは誤った結論に向かいがちです。
大切なのは、その情報が仮説全体に与える影響の大きさを見極めることです。
同じ一つの情報は常に等価とは限りません。例えばある車種の売り上げを見極める際に、その車の「ドアの部品一つの単価が分かった」という情報と「この車が競合商品より1割安い」という情報は同列に扱うべき情報でしょうか?明らかに後者の方が売上の見極めに重要だという事がご理解いただけるはずです。
詳しくない、分からない、というのは今回の件のように珍しいことではありません。大切なのは、詳しくない、分からないことをそのままにしないことです。
ホロコーストに関しては戦時中から(全体の規模は不明ながら)虐殺が行われていることは知られていましたし、歴史を語るうえで不可欠な「被害者・加害者の証言」「関係者の日記」等の大量の一次資料がありますし、ニュルンベルク裁判で容疑者たちが主張したのは「虐殺はなかった」ではなく「私は命令されただけだった」ということでした。
果たして今回の「公文書がなかった」という仮説は、これらの重要な情報を否定しうるほど影響の大きな仮説なのでしょうか?
② この仮説に対する参考事例や類似事例はあるか?
歴史的事件は、後世の歴史書からみると一つの点のように見えますが、今を生きている我々の感覚で今起きている事柄を顧みると、連続性を持った境目のない流れで起きており、一つの事象に対して批評するには、時系列的な視点が必ず必要だという事がお分かりいただけると思います。
例えば幕末におきた「大政奉還」という歴史上の一大イベントがありますが、大政奉還を正しく理解するためには、大政奉還が起きるに至った経緯を時系列順に理解しないと、なぜそのようなことをしたのか理解できませんよね。
それと同じことをナチスの政策に当てはめてみると、今回のホロコーストに類似した、「T4作戦」と呼ばれる政策事例が見当たります。
ここで詳細な記述は避けますが、T4作戦というのはナチス政権によって1939年より開始された、社会的弱者に対する大規模な安楽死政策です。
第二次世界大戦前後の1900年~1950年頃は世界中で社会ダーウィニズムがもてはやされていた時期であり、遺伝病や精神病などが「社会の発展を阻害する」と本気で信じられていた時代だったのですが、T4作戦というのはそういった社会背景の中で「隔離や断種」から一歩踏み出し、「安楽死」にまで進んでしまった、という政策でした。
ホロコーストというのは他の歴史的事例と同じく、単一で独立した事件としてではなく、ナチスの思想や当時の社会的背景も参考にしながら総合的に見る必要があります。
こういった時系列情報や周辺情報も併せて参考にしないとユダヤ人政策の本当の姿は見えてきません。
(余談ですがこの作戦に関しては、ヒトラーの指示が残っています。)
③ この仮説は、十分に議論されているか?
これは修正主義的な主張に大抵共通した問題点ですが、冊子、ブログ、SNS等での主張はあるのですが、論文的なものが皆無なのです。
論文になっていないという事は言い換えると査読と議論を経ていないという事です。
その仮説の根拠は正しいか、一次資料に基づいているか、矛盾点はないか、この影響に対する考察が抜けていないか、等の洗礼を受けずに出ている主張は公平性と正確性に著しい問題を抱えます。
仮説に対して議論することによって、仮説の持つ不確実性を把握し、そこから内容をブラッシュアップさせることで、情報の持つ公平性や正確性は磨かれていくことになります。
ここまで上げたポイントを見ていただくと、情報はただ提示されただけでは正確にジャッジ出来ないことがご理解いただけるかと思います。情報は、その重要度を把握し、参考となる類似情報や時系列的な情報を収集し、議論する。そうすることで初めて情報の本当の価値が見えてきます。
逆説的に言うとホロコースト否定などの歴史修正主義的な主張のほとんどは「重要性を無視した情報同士を等価であるかのように扱い」「自分に都合の良いポイントだけを取り上げ」「一方的に主張する」点で信頼を置くことができない情報だと言えます。
しかし受け取る人が「願望」「イデオロギー」といったバイアスをかけてしまうことで、そういった問題が見えなくなります。トランプ氏の根拠薄弱なフェイクニュースに踊らされた人たちも同じ症状に陥っていたのでしょう。
同じことはこういった歴史的な事象に限らず、あらゆる情報についても同じことが言えます。
例えば事業計画を策定するときに策定担当者には、「この案件は通したい」「このプロジェクトは必ず成功する」といった思い込みに近いバイアスが、悪気無しにかかってしまう傾向があります。
しかしその事業計画のまま突き進むと、そういったバイアスのかかった事業計画のリスクは可視化されず、プロジェクトの失敗にいたってしまうことが多くあります。
大切なのは、情報を鵜吞みにせず、仮説の重要度を把握し、参考情報を収集し、議論できる環境を作ることで、そういったバイアスのかかった情報から、本当の重要度を明示し、リスクを把握することではないでしょうか?