こんにちは、コンサルタントの春原(すのはら)です。弊社は世界中の新たな製品・サービスの実現に貢献することを使命に志し、お客様の成功に貢献できるよう日夜精進しております。新たな製品・サービスを産み出されるお客様から、如何にして新たな事業を創造し、成長させるかお悩みをお伺いします。今回のコラムは、明治から昭和の時代に、第一国立銀行(現・みずほ銀行)をはじめ指導的立場で500社前後の企業の創立・発展に貢献した渋沢栄一氏が書き残した書籍「論語と算盤(そろばん)」(注1)を通じて、渋沢氏が何を考え、そのような偉業を成し遂げたか、読者の皆様とご共有させて頂きたいと思います。
著者の渋沢氏は天保十一年(1840年)に埼玉で生まれ、明治六年に大蔵省総務局長を辞職して以降、多くの会社や学校を興し運営し、昭和六年(1931年)に享年92歳で逝去しました。渋沢氏が晩年に執筆した本書は昭和二年に初版が刊行され、もう間もなく一世紀を過ぎようとしている古典的名著ですが、本コラムでは書籍「論語と算盤」の概要と本書の中で渋沢氏が述べている特徴的な点についてご説明させて頂きます。
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まず本書にはどの様なことが記載されているか概要をご説明します。書名の「論語と算盤」からの印象では、算盤すなわち経済活動に対して論語によって意味づけているという感じで、確かにそのような面はあります。しかし、渋沢氏の意図としてもっと広く深いものを本書から読み取ることができます。
渋沢氏は、彼の存世したころの日本を次のように述べています。江戸時代以来、道徳教育を受けていたのは武士層であり、農工商にはそれが乏しかった。そのため、彼が関わる商業界では、収益だけが目的の拝金主義となってしまっている。一方、武士層は朱子学的道徳教育であったため、問題があったとしています。すなわち、現実を念頭に置かず、道徳のための道徳教育というような原理主義であったため、空理空論となっており、これは国家を衰弱させると指摘しています。
道徳なき商業における拝金主義と、空理空論の道徳論者の商業蔑視と、この両者に引き裂かれている実情に対して、渋沢氏は『現実社会において生きることのできる道徳に基づいた商業』を目指しました。それを可能とする接着剤、商業と道徳との接着剤として、渋沢氏が選んだのが儒教でした。ただし、その儒教は朱子学流ではなくて、儒教の古典そのものである「論語」や「孟子」などの本文そのもの(朱子学者など注解者の意見や解釈の加わっていないもの)を素直に読もうとしました。
このような立場で、渋沢氏はいろいろな現実問題を儒教の古典の知恵を引きながら論じています。また「論語」だけでなく、「孟子」や「易経」などからも引用していたので、「儒教と経済」とでも記すべき書名を、象徴的に「論語と算盤」と巧みに表現しました。
渋沢氏が訓話した対象は、おそらく経営者や企業家であったことから、経営にとどまらず、人材の選び方や人間関係や労働の意味など個人の生涯におけるさまざまな問題についても、主として儒教を基にしつつ論じています。その意味では、本書は、人生論でもあり、人間論でもあり、経営哲学でもあり、そして利殖とのかかわりを中心にして説く道徳論でもあります。
日本の経済人は、いまさまざまな難しい問題を前にしていますが、本書が取り上げている問題と本質においてはほとんど同じと考えられます。それは、利益(渋沢氏は「利殖」と記しています)の<私>と道徳の<公>との関係という古来の難問です。その解釈について、渋沢栄一という、日本企業の先駆者が、官を辞して、あえて経済人として生ききったその壮絶な生涯におけるこれらの訓話から、現在も多くのことを学ぶことができると考えます。
ここから先は渋沢氏が本書の中で挙げている特徴的な内容を取り上げてご紹介します。
人物の観察法
事業を行う上で、人との付き合いや判断が基本となりますが、渋沢氏は人物の観察法として「視・観・察(し・かん・さつ)」という方法を本書で説明しています。原典は論語で「子曰く、その以いるところを視、その由るところを観、その安んずるところを察すれば、人いずくんぞかくさんや」という箇所から引用し、「視、観、察の三つをもって、人を識別せねばならぬもの」と孔子の遺訓として説明しています。
視も観もともに「ミル」と読むが、視は単に外形を肉眼によって見るだけのことで、観は外形よりもさらに立ち入ってその奥に進み、肉眼のみならず、心眼を開いて見ること、と述べています。つまり、第一にその人の外部に顕われた行為の善悪正邪を相し、それよりその人の行為は何を動機にしているものなるやを篤と観、さらに一歩を進めて、その人の安心はいずれにあるや、その人は何に満足して暮らしているや等を知ることにすれば、必ずその人の真人物が明瞭になるもので、如何にその人が隠そうとしても、隠し得られるものではない、と言っています。
自然的逆境と人為的逆境
事業を行う中で、順調に物事が進むこともあれば、その逆に全く上手く進まないということも多いのではないかと思います。渋沢氏は逆境にも自然的逆境と人為的逆境の二種類に分類・区別し、それぞれの状況に置いて適切な策を立案・実行する必要があると述べています。
渋沢氏自身が一橋家の家臣として幕府の臣下となり、フランスへの渡航後に帰朝してみれば幕府がすでに滅びていたなど、その逆境を説明しています。上記の逆境は自然的逆境ですが、そのような自然的逆境に立った場合は、「第一に自己の本分であると覚悟するのが唯一の策であろうと思う。足るを知りて分を守り、これは如何に焦慮すればとて、天命であるから仕方がないとあきらめるならば、如何に処しがたき逆境にいても、心は平らかなるを得たるに相違ない」と述べています。
続いて、「しかるにもしこの場合をすべて人為的に解釈し、人間の力でどうにかなるものであると考えるならば、いたずらに苦労の種を増すばかりか、労して功のない結果となり、ついには逆境に疲れさせられて、後日の策を講ずることもできなくなってしまうのであろう。ゆえに自然的の逆境に処するに当たっては、まず天命に安んじ、おもむろに来るべき運命を待ちつつ、たゆまず屈せず勉強するがよい」と説明しています。
では人為的逆境に立った場合はというと、「これは多く自動的なれば、何でも自分に省みて悪い点を改めるより外はない。世の中のことは多く自動的のもので、自分からこうしたい、ああしたいと奮励さえすれば、大概はその意のごとくになるものである。しかるに多くの人は自らの幸福なる運命を招こうとはせず、却って手前の方から、ほとんど故意にねじけた人となって、(人為的)逆境を招くようなことをしてしまう」と述べています。
成敗は身に残る糟粕
渋沢氏は過去の偉人を参照して、成敗(成功と失敗)について考察を述べました。中国の聖賢として堯舜、兎湯、文武、周公、孔子を挙げ、孔子以外の4名は生前から成功者として尊崇を受けていたが、孔子は生前、無辜の罪に遭って、苦しめられたり、艱難ばかりを嘗めていた。またこれという見るべき功績といっても、社会上にあった訳ではない。しかし、今日になってみると、生前に治績を挙げた堯舜、兎湯、文武、周公よりも、同じくその聖賢のうちでも、孔子が最も多く尊崇せられていることを説明しました。また日本での一例として、菅原道真と藤原時平が挙げられ、時平は当時の成功者、道真は失敗者として説明されたが、時平を尊む者はなく、道真は全国津々浦々で祀られていることで、道真の失敗は必ずしも失敗ではない。つまり、世のいわゆる成功は必ずしも成功ではなく、世のいわゆる失敗は必ずしも失敗ではない、と述べています。
とはいえ、会社事業といった営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人にも迷惑を及ぼし、多大の損害を掛けることがあるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものであるが、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟(かす)を喫するがごとき弊に陥って、永遠の失敗に終わるものである、と言っています。
つまり、糟粕(そうはく)に等しい金銭財宝を主とするのではなく、人はただ人たるの務めを完うすることを心掛け、自己の責務を果たし行いて、もって安んずることに心掛けねばらなぬ、と説いています。
実際に、渋沢氏はこれだけ多くの企業設立に貢献しながら、自己の財産に囲い込むようなことはせずに、本書「論語と算盤」など後進の参考となる形で整理され、日本国民に愛された結果、2024年には一万円札の肖像に選ばれるに至ったものと考えます。これは渋沢氏が言う精神上の事業が真に成功したと言って差し支えないのではないでしょうか。
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上記の概要と特徴的な内容について如何でしたか。本コラムでは「論語と算盤」について概要とポイントのみのご紹介となりましたが、本書には渋沢氏の観察眼による徳川家康と豊臣秀吉の比較やその他多くの教訓など、分かり易く記載されておりますので、是非手に取ってご覧頂ければと存じます。なお弊社は冒頭でも記載しましたが、世界中の新たな製品・サービスの実現に貢献することを使命としております。弊社はまだ至らぬところも数多くあると考えますが、新たな製品・サービスを皆様が創出されることを精一杯支援し、今後も精進を重ねていく所存で御座います。
(注1)『論語と算盤(角川ソフィア文庫)』(KADOKAWA、2008年)
https://www.amazon.co.jp/論語と算盤-角川ソフィア文庫-渋沢-栄一/dp/4044090017