ヴィットーレ・カルパッチョという中世の画家がいます。

同じ名前の料理を思い出してクスッと笑う名前なのですが、実は彼の名前が同名の料理の由来になっているという、ある意味とても身近に感じられる名前の画家です。

彼は1500年前後にヴェネツィアを中心に活躍し、「聖ウルスラ」と関した連作が代表作とされるヴェネツィアを代表する画家のひとりですが、そんな彼の作品のなかに、「二人のヴェネツィアの女性」という作品があります。今回は、ヴェネツィアのコッレール美術館に所蔵されているこの作品から得られる、ある種の学びについてお話させていただきます。
この「二人のヴェネツィアの女性」という作品は、ある発見の前後によって持たれる印象が大きく変わった作品です。川辺にたたずむ二人の美しい女性は、いったいどういう女性だったのか、という問いに、人々は長く想像を膨らませてきました。

エッセイストの須賀敦子さんは、その特徴的な服装、靴、うつろな視線などから、二人は高級娼婦(コルディジャーネ)だったのではないかと「ザッテレの河岸で」というエッセイの中で抒情的な文体の中で考察しています。この解釈は、エッセイが書かれた時代には議論もあったようですが、まだこの作品に対する支配的な解釈でもあったようです。私も須賀さんの格調高いエッセイはとても好きで、「ザッテレの河岸で」も繰り返し読んでいましたが、特にその絵を実際に見たことのなかった私は、コルディジャーネの救われることのない運命が見事に描き出されている抒情的散文の中で、「そうか二人の女性は高級娼婦だったのか」と漠然とそんな風に考えていました。

ところが、ある時を境にその解釈が揺らぎ始めます。
物語はロサンゼルスのJ・ポール・ゲティ美術館にあるヴィットーレ・カルパッチョのもう一つの作品である「ラグーンでの狩猟」から始まります。同美術館の収蔵品であるこの作品はラグーンでの鳥を狩る様子が精緻に描かれた作品なのですが、この作品の左下には謎の百合の花が大きく描かれていました。
この謎は、この作品を所蔵するゲティ美術館が、この作品を様々な角度から綿密に調査することで、次第に解決に向かっていきます。この作品の下側から不自然に切断された跡が発見されたのです。その切断先を、同美術館が、現存するヴィットーレ・カルパッチョの作品から探し求めた結果、奇跡的に合致する絵画が発見されました。そして合致した絵画こそ、冒頭の「二人のヴェネツィアの女性」だったのです。このあたりのお話は福島伸一さんの「世界は分けても分からない」でも印象的に描かれています。
この、それぞれ独立していると思われていた二つの作品は実は一つの作品だった、ということになります。そして二つの絵画をつなぎ合わせてみることで、絵画の全体的な雰囲気が大きく変わり、それによってこれまで見えてこなかったものがはっきりと見えてくるようになってきました。
梅毒を患うコルティジャーネが収容された病院ではないかとされた建物は、そこに記された家紋から貴族の邸宅ではないかと解釈が変わり、その特徴的な服装からコルディジャーネではないかと思われていた二人は、身につけている真珠などの装飾品や白いハンカチなどから、その貴族家に属する二人の貴婦人(の親子)ではないかと解釈が変わり、うつろだと思われていたその視線は、男たちの狩猟を眺める退屈な視線ではないかとすべての解釈が大きく変わりました。

しかし冷静に振り返ってみると解釈が変わった元となった一連の情報~家紋も、真珠も、ハンカチも、視線も元の絵画に「既に存在していた」ものだったのです。違いは視線の先にある追加されたもう一つの絵画という情報でした。情報がアップデートされたことで絵画の持つ印象が変わり、これまで見落とされてきた重要なサインに気付き、評価の大きな転換が起きたのです。

この事例は、私たちにある種の気づきを与えてくれます。それは、「私たちが今得られていると思っている情報は、あくまでも切り取られた情報の一部である可能性があり、様々な追加情報を基に解釈することで変動する可能性のある情報である」、という気づきです。
私たちの提供する事業計画を成功に導くためのソリューションでも、この学びは生かされています。現在設定されている事業計画の数値は、どういった根拠で記されているのか?どういった情報を基に考えられたのか?この情報は今後どのように変動するのか?こういったバックボーンを理解したうえで事業計画の数値について議論できるシステム、その情報を常にアップデートし続け、もう一つの絵画が見つかった時に柔軟に対処できるシステムを、インテグラートはご提供しています。

ところで「二人のヴェネツィアの女性」の謎が解決されたかというと、実はそう決まったわけでもありません。
現在ではこの絵画は、扉絵であったと考えられており、この絵画の左側にもう半分の絵画が存在していたと考えられています。
この失われてしまったであろう左側の絵画の内容によっては、現在の解釈がまた変わる可能性もあることに思いをはせながらこの絵画を皆様も一度ご覧になってはいかがでしょうか。