最近、割引率に関する質問をいただく機会や、調べ物を行う機会がいくつかありました。DCF法で事業価値を算出して投資判断を行う場合には避けて通れない割引率は、その会社の資本コストから算出されることが多いです。本日のコラムではこの資本コストについて改めて、また初めての方でも分かりやすいように解説しつつ、資本コスト算出のためにはいくつかの前提=お約束事があることについて述べたいと思います。

・資本コストとは何か
資本コストとは、企業が資金を調達し、企業活動を維持するために必要なコスト(費用)のことです。製造コストや開発コストといった企業活動の機能に対応したコストと異なり、資本コストというのは言葉から何を意味するのかが連想しにくい言葉ですね。具体的には借入に対する利息の支払いや、発行した株式に対する配当の支払いと株価の上昇期待にかかるコストとなります。
この言葉は当初、アメリカの電力・ガスなどの公益企業に対し政府が料金を認可する際の判断基準として生まれたものです。公益企業において、投資に対する適切な収益率を上げられるような料金設定が妥当であるという考え方がとられました。この考え方に基づき、料金設定の際に原材料、人件費、土地などと同様に「資本」についてもコスト=適切な収益率が考えられるようになり、資本コストという言葉が生まれました。
そこから、この「適切な収益率」は、公益産業と同じくらいのリスクを持つような非規制業種があげられる収益率の水準であるという考え方が形成され、資本コストが広まっていきました。

・資本コストの算出
企業価値やプロジェクトなどの事業価値を算出する場合、借入金の出し手である金融機関や、株式の買い手である投資家の期待する収益率を超えるリターンをあげられるかどうかが1つの目安になることが多く、これが現在価値の割引率に資本コストが使われる理由となっています。
企業の資本コストの算出は税引き後の負債コストと株主資本コストを負債と株主資本で加重平均して算出するので加重平均資本コスト(WACC)と呼ばれ、以下のような式で算出します。数式と数式を構成する項目は次の通りです。

WACC=(rE×E+rD×(1-T)×D)÷(E+D)
・rE=株主資本コスト:株主資本の収益率
・rD=負債のコスト:負債の利率
・E=株主資本
・D=負債
・T=税率

見慣れない数式と文字列が並ぶので難解に感じる方も多いと思います。しかしEの株主資本とDの負債は企業のバランスシートを見れば分かりますし、rDの負債の利率も損益計算書に書かれている支払利息と負債の比から求めることが可能です。
問題なのはrEの株主資本コストで、これを求めるために現在では1960年代半ばにアメリカの経済学者が考案した「資本資産価格モデル(Capital Asset Pricing Model=CAPM)」を使ってrEの株主資本コストを算出します。

CAPM:rE=rf+β(rm-rf)
・rf=リスクフリーレート:通例国債の利回りを置くことが多いです。
・β(ベータ値)=株式市場が1%変化したときにある株式の収益率が何%変化するかを表す係数。統計的には市場の収益率とある株式の収益率の回帰分析を行って求めます。
・(rm-rf)=マーケットリスクプレミアムとは、rm=株式市場の収益率とrf=リスクフリーレート(リスクのない国債)との差を示し、株価の変動リスクを負うことによって得られる平均的な期待収益率を表します。

・株主資本コストの前提
ではこの難しそうな株主資本コスト算出の際の前提、お約束事となっていることは何でしょうか。筆者は以下の3つを挙げます。
1)リスクフリーレートについて:国債にはリスクがない(はず)
リスクフリー、すなわちリスクを有する株式に対して、国が発行する債券はリスクがないという前提を置いています。確かに企業と比べると国が債務不履行になる確率は低いですが、日本国債でもアメリカ国債でも、全く可能性がないわけではありません。また、これまで日本はデフレの時代が長く続いたので見落とされがちですが、インフレが進行すると投資家にとっての国債の収益率は実質的に低下するので、この点においてもリスクがないわけではありません。

2)β(ベータ値)は過去の実績と同じように動き、その推定の期間は過去5年程度で良い(はず)
CAPMの数式を見てお気づきの方もいらっしゃると思いますが、CAPMではrE=株主資本コストは、βによって市場全体の収益率に対するその株式の期待収益率を算出する1次関数モデルになっています。その重要なファクターとなるβについては将来のβを予測することは難しいので、過去の実績と同じような市場との連動度合いで変化する(はず)という前提があります。また、どれくらいまでの過去の期間をさかのぼればよいか、については、回帰分析として60個のデータが必要である(はず)と言われているので、月次で5年分の市場の収益率と株式の収益率を使って算出することが多いです。
また、自分でβを算出するのは大変なので、実務的には公開されているデータを使う場合が多いです。ロイターのHPでは株式個別銘柄情報の中で月次5年、日経新聞のHPのβ値ランキングは月次3年のβが掲載されています。

3)マーケットリスクプレミアムの推定について:株式市場によるマーケットリスクプレミアムの差は長期的に見るとない(はず)
rm=株式市場全体の収益率とrf=リスクフリーレートの差分であるマーケットリスクプレミアムも、βと同様、過去の実績から推定値を算出し、用いることが多いです。
さらに、東京市場、ニューヨーク市場、ロンドン市場、上海市場など、世界には多くの株式市場がありますが、短期的にはともかく、数十年から100年の長期間で考えると、市場によるマーケットリスクプレミアムの差はない(はず)、という前提があります。これは、
・もし過去、現在、将来も含めてニューヨーク市場のほうが東京市場よりも平均的に収益率が高い、という前提が成り立てば、
・すべての投資家は東京市場にある株を売って、ニューヨーク市場の株を買うだろう、
・そうなると東京市場は誰も株式の買い手がいなくなって市場が成り立たないが、実際そうなっていない
・だから、市場によるマーケットリスクプレミアムの違いはない(はず)
という考え方に基づいています。したがって市場を問わず、5%から7%程度がマーケットリスクプレミアムである、というのが現在の相場になっています。

どの程度の期間で収益率を測るかによってマーケットリスクプレミアムは大きく変わることが多いのですが、過去50年分で標準誤差が3%くらいなのでこれくらいの期間で妥当(なはず)とみなされることが多いです。

以上の前提は経済合理性に従って考えると、こうなるはずという考え方に基づいています。
しかし、実際の市場参加者には、自らの経済合理性を考えない中央銀行が参加したり、機関投資家にはある程度自国の株式や債券を買うインセンティブやバイアスが存在したりするので、必ずしもこの理論通りにはなりません。
また、上述した前提=お約束事はあくまで現時点のものであり、例えば新たな戦争やリーマンショックのような経済危機など、大きなリスク変動があるとこれらのお約束事は変わる可能性がある、はずです。不確実な事業リスクを測るためのこのような理論も、不確実性のある前提を積み重ねた上に成り立っていると言えるでしょう。

<参考文献>
「コーポレートファイナンス 第10版」ブリーリー&マイヤーズ 日経BP社
「企業財務入門」井出正介、高橋文郎 日経新聞社