冒頭から私事で恐縮ですが、先日、スマホを買い換えました。
 スマホのアプリは前のスマホで使っていたものをそのままコピーしたのですが、設定内容までは引き継がれませんでした。しかし買い換え直後はそのことに気づいていませんでした。それから数日後、新幹線で移動のため品川駅にタクシーで行こうと思い、今までのようにアプリでタクシーを呼ぼうとしました。ところがアプリが使えません。なぜだろうと思いよく見ると、名前の登録やクレジットカード情報の登録など一から設定し直さないといけないことが分かりました。そこで大急ぎで設定を行い、何とか新幹線の時間までに移動することができましたが危うく新幹線に乗り遅れそうになりました。

 別の方法として、昔ながらの近所のタクシー会社に電話して呼ぶ方法もあったので、そちらを使えばよかったかも、と思いました。

 このように、テクノロジーの進歩によってスマホ1つで何でもできる、というリターンの裏に、そのリターンを得るための細々とした、見えないタスクが増えてきているのでは、と感じることはないでしょうか。今回のインテグラート・インサイトコラムは、このような影の仕事=シャドーワークが社会全体の生産性を低下させているのでは、というコラム記事(※)を紹介しながら、仮説の必要性について考えてみたいと思います。

 この記事の筆者であるラナ・フォールハーは労働者の生産性低下の要因の1つとして「シャドーワーク=影の仕事」が増えているのでは、という仮説を提示しています。シャドーワークという言葉は、1981年にオーストリアの哲学者が考案し、その時には「子育てや家事など、報酬を伴わない仕事すべて」がシャドーワークと定義されていましたが、フォールハーはこれに「技術を駆使して企業が仕事を顧客に押し付ける」ことが加わっているのではと述べています。具体的には、「銀行とのやり取りや旅行予約、飲食店での注文」や、「駐車料金の支払いや子供の宿題の把握、テクノロジーに関するトラブル対応などに必要なアプリをダウンロードして操作する」といった例を挙げています。
 但し、まだ誰もシャドーワークの時間がどれくらいかかっているか、定量的には示せていないとしていますが、「30年までに米国の仕事の4分の1が自動化の影響を大きく受けるとの予測がある」ことを踏まえると、この時間は既に膨大であり、また今後さらに増えていくだろうと予測しています。
 これらのシャドーワークの増加に対しフォールハーは人の仕事を減らすことと、サービス価格が低下するメリットを認めつつも、実は社会全体の効率性、生産性を引き下げているのでないかと疑問を示しています。フォールハーはノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ氏らの「シャドーワークは市場システムにとって外部不経済(社会への悪影響)となり、企業が労働コストを削減するために使いたくなる手段だ」という意見を取り上げています。
 また、別の識者の意見として「シャドーワーク増加の負の影響の一つとして、サービス業で初級レベルの仕事がなくなること」も指摘しています。さらに、別の視点から「自動化が一層進む社会では、人と接触することが全般的にぜいたくなこととなっている」として、人と人の接触によって生まれる「摩擦」がなくなり、実は摩擦がなくなることは利点ではなく、社会的にはマイナスになるのではないか、という仮説を示しています。

 今回紹介した記事では、テクノロジーが生み出したアプリなどへの投資によって欲しいものを早く、安く入手できるといったコスト削減や利便性向上のリターンを得ていると思い込んでいたのが、実は高給を得ている人の時間を奪ったり、別の人の仕事がなくなったりするなどマイナスのリターンを生み出しているのではないかと述べています。

 社会全体の生産性を測るには、この記事の筆者が述べているように、見えているリターンだけではなく、見えていないマイナス部分を測る試みも必要でしょう。ただ、定量的に測定できる雇用の変化のみならず、人の時間を奪うことによる、あるいは「摩擦」がなくなることによって人に与えるマイナスの影響を測るのはとても難しいことです。

 しかし、測れないから影響はない、と考えるのではなく、「多くの人の時間が奪われていて、それは社会的なコストかもしれない」「人同士の『摩擦』がなくなることは社会的にマイナスかもしれない」と仮説として示すことはとても重要なことだと考えます。
 なぜなら、このような今見えていないマイナス要因がより大きな社会問題-思考する時間を奪われたり、互いの顔が見えなくなったりすることによる世論の誘導や分断、あるいはそこからポピュリズムが生み出され、政治不安が増大するといった―に発展する前に対策を考える機会を生み出すからです。このような社会全体の問題に限らず、読者の皆さんの日々の仕事にかかわる事柄でも、もしかすると、という仮説を周りの人に語ることが、皆さんが関わる問題が小さいうちに対策を考えることにつながるのではないでしょうか。そのように考えると、仮説とは、リスク予防やリスクマネジメントの本質であるとあらためて感じさせられます。

(井上 淳)

※2023年2月3日付日本経済新聞朝刊「『影の仕事』で生産性低下も」ラナ・フォルーハー