今月のコラムでは、「業績を向上させる方法は、新規事業や部門の売却、経営陣の入れ替えだけではない」と主張している論文「リスク嫌いに贈る投資判断の秘訣」(注)をご紹介します。

 「リスク嫌いに贈る投資判断の秘訣」は、行動経済学者ダニエル・カーネマンをはじめとする4名によって執筆され、ハーバード・ビジネス・レビュー誌に掲載された短い論文です。ダニエル・カーネマンは2002年のノーベル経済学賞の受賞者で、「たいていの人は、100ドルを得る楽しみよりも、100ドルを失う恐怖のほうを強く感じる。つまり、利益を得るよりも、損失を回避することを優先するものだ。」というプロスペクト理論を提唱した行動経済学の先駆者です。残念ながら、先日3月27日に亡くなりました。

 この論文では、企業はリスクのある投資を積極的に推進することはなく、むしろ、わずかな改善やコスト削減を優先して新たなアイデアを却下してしまう、という現実を指摘しています。そして、投資の意思決定を企業の中間管理職に依存するようになると、リスクを取らなくなることを説明しています。

 論文の筆者たちの主張の根拠の一つとして、本論文執筆者の二人が大企業の階層的組織のマネジャー(中間管理職)1,500名を対象に実施した調査が紹介されています。

 この調査では、大企業の中間管理職に、次の質問をしました。
  ・あなたは、投資額1億ドルの案件を検討しています
  ・この案件は、4億ドルのリターンを得られる可能性があります
  ・一方で、1億ドル全額を失う失敗の可能性もあります
  ・あなたは、失敗確率が何%以下であれば、この投資を実行しますか?

 この案件は、失敗確率が75%であれば、投資額とリターンの収支がトントンになります。
 つまり、失敗確率が75%以下であれば投資を実行する、という回答が得られたかというと、得られた回答は全く異なりました。

 マネジャーの大半が極端な損失回避の傾向を示し、回答の平均は失敗確率が18%以下なら投資する、というものでした。計算上の75%よりもはるかに低く、およそ8割程度の成功確率を希望する、という回答結果でした。ちなみに、失敗確率40%以上でも投資すると回答したのは、全体のわずか9%でした。

 1億ドルという大きな損失が発生して企業経営に悪影響を及ぼす場合を考えると、4億ドルのリターンを得る魅力(期待効用)よりも、1億ドルの損失回避を優先する判断は理解できる、と論文の筆者たちは考えました。

 そこでこの調査では、同じ対象者に対して、更に次の質問をしました。
  ・あなたは、投資額1,000万ドルの案件を検討しています
  ・この案件は、4,000万ドルのリターンを得られる可能性があります
  ・一方で、1,000万ドル全額を失う失敗の可能性もあります
  ・あなたは、失敗確率が何%以下であれば、この投資を実行しますか?
 つまり、投資額と期待リターンを10分の1にした質問です。

 回答は、ほぼ同じでした。回答の平均は失敗確率が19%以下なら投資する、というもので、失敗確率40%以上でも投資すると回答したのは、最初の質問に対する回答と同じで、全体の9%でした。

 この論文の筆者たちは、2つの質問の回答がほぼ同じなのは、奇妙なことだと考えました。
 生じるおそれがある損失が10分の1になれば、企業に与える影響は小さくなるので、リスク許容度は高くなるのではないか、つまり許容される失敗確率は高くなっても良いのではないかと考えたのです。しかし、1,500名のマネジャーの回答は変わりませんでした。
 なぜでしょうか?

 ダニエル・カーネマンなど論文の筆者たちの意見は、次のようなものです。
  ・大企業の中間管理職は、会社のリスク許容度を考慮しているわけではなくて、自分のキャリアに傷がつくことを恐れている。
  ・要するに、たいていの中間管理職は、失敗した場合に「あなたの責任だ」と言われるのが嫌なのだ。

 さて、中間管理職がリスクを取らないのであれば、経営者は前向きにリスクを取るのでしょうか。この問いへの答えとして、この論文では、2017年にやはり行動経済学でノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラ―が実施したワークショップの内容が紹介されています。

 ある大手出版社が発行している雑誌が22誌あり、それぞれの責任者22名に、次のような投資をするかどうか質問しました。
  ・あなたは成功確率50%の案件を検討しています
  ・成功すれば、出版社に200万ドルの利益をもたらします
  ・失敗すれば、出版社に100万ドルの損失が生じます
  ・あなたはこの投資を実行しますか?
 この案件は、期待値が100万ドル、つまり確率的には実行したほうが良い、という想定です。

 ところが、結果はどうだったかというと、22名の雑誌責任者のうち、投資を実行すると回答したのはわずか3名で、19名は投資しないと回答しました。
 一方で、その出版社のCEOに同じ質問をしたところ「すべて実行してほしい」という回答が得られました。

 各誌の責任者にしてみれば、確率が5分5分でも、計算上の期待値がプラスでも、失敗したくない気持ちが強く示されました。しかし、CEOにしてみれば、22件のうち11件が成功して11件が失敗すると、1,100万ドルを獲得することになります。

 このような研究に基づいて、個別に案件を担当する責任者が実質的に意思決定するのではなくて、組織階層のより上位にある責任者が責任をもって意思決定することによって、企業の業績が向上する、というのが本論文の主な主張です。具体的には、複数の投資案件をポートフォリオとして比較評価して、選択することが提言されています。

 ここからは、弊社インテグラートとしてのコメントです。
 この論文は、過度の権限移譲や現場任せのマネジメントが、企業の成長を阻害する可能性を示唆しています。例えば、意思決定の迅速化を目的とした分社化や事業部制等の権限移譲は、その狙いを達成しているのでしょうか。この論文によれば、権限移譲によってリスクを取らなくなる可能性があり、利益を逃していることになります。

 また、業務規程上、一定額以上の投資案件は、経営陣が意思決定することになっている企業が多いと思いますが、実際のところは、形式的な承認にとどまっていて、実質的な検討は事業部門に任されているとしたら、おそらくこの論文で指摘されているようなリスク回避が既に起きているでしょう。事業部門からは、事業部門が取れると考えるリスクの範囲で「早く・安く・安全に・確実に」実行できる、小さくまとまった案しか出てこなくなります。

 経営陣による意思決定が形骸化し、単なる承認になっているかどうかについては、弊社は議事録の内容に注目して見極めています。意思決定会議での議論が、リスク(下振れ要因)中心になっているとしたら、形骸化のサインです。会議の参加者は、何か発言しなければと努力して、リスク(下振れ要因)を指摘するのですが、肝心の「どうしたらもっと儲かるのか」という議論がありません。「どうしたらもっと儲かるか」は、事業部門が既に十分に検討しているだろう、事業部門が稟議を上げてきているのだから責任を持って達成するだろう、といった事業部門に安易に依存している状況です。経営陣が投資案件のリスクとリターンを理解できておらず、よくわからないまま現場に任せている場合に、このような状況に陥ります。

 グループ経営や事業ポートフォリオマネジメントが機能しないときにも、同じ問題が生じている可能性があります。経営陣が投資案件のリスクとリターンを理解できないから意思決定が遅れてしまい、権限移譲が必要となったり、経営会議や投資委員会が単なる承認の場になったりします。グループ企業や事業部門の提案に対して、経営陣が実質的に関与していない、要するにマネジメントしていない状況です。

 経営陣が実質的に意思決定に関与できていない問題を解決したいと思われたら、是非インテグラートにご相談ください。インテグラートは、経営理論とITを活用して、投資案件の重要仮説を明確にすることによって透明性を高め、経営意思決定を支援する事業性評価(ビジネスデューデリジェンス)を提供しています。経営陣・関係者に「よくわかるようになった、関与できるようになった」と実感していただけるようになります。

 ご紹介した論文で指摘されている、事業部門だけではリスクを取り切れないということは、既に多くの人が経験している長年の課題なのかもしれません。弊社は、投資案件の透明性を高めることが、課題解決に貢献すると考えています。そろそろ、弊社インテグラートと一緒に、長年の課題を解決する取り組みを開始しませんか?

(小川 康)

注:「リスク嫌いに贈る投資判断の秘訣 損失回避の心理が利益を逃す」
 ダン・ラバロ 、ティム・コラー 、ロバート・アレイナー 、ダニエル・カーネマン著
 DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー2020年7月号
 原文は公開されています。
 Your Company Is Too Risk-Averse
 https://hbr.org/2020/03/your-company-is-too-risk-averse