東日本大震災から4カ月を過ぎました。改めて今回の震災で被害を受けられた皆様にお見舞い申し上げます。今回のコラムでは、今回の震災のような「めったに起こらないが起こると大変な被害・ダメージになること」に対する備えの意思決定について考察してみたいと思います。

地震・津波といった自然災害、また予期せぬ株価の暴落や貸し倒れによる損失といった経済的被害などは、本コラムでは事象リスクと呼びます。事象リスクは、向こう数カ月や1年以内といったスパンでは発生可能性が低いと想定されるが、一旦発生するとその損失規模は非常に大きいという特徴があります。事象リスクは、日常的に発生する売上やコストの想定からのぶれである事業リスクに比べ、発生頻度が低いために対策が後回しにされがちです。では、人はなぜその損失規模が大きくなることが分かっているにもかかわらず、事象リスクに対する備えを後回しにするのでしょうか?

ペンシルバニア大学ウォートンスクールのH・C・クンリューサーによると、これら事象リスクに対する防衛的な意思決定を後回しにする傾向には次の2つの問題点が存在すると指摘しています。
1)人々は低い確率を評価することがそもそも困難であること
2)事象の期待値を算出するために事象リスクを確率で検討することをせず、より単純化された選択モデルを使うこと

1)では、「化学工場からの予期せぬ化学物質の排出によって周辺住民が死亡する確率は100万分の1である」と示されても、それが危惧すべき、対策を検討すべきことなのかどうか判断がつかないといった事例が挙げられています。これに対する対応策としては、比較対象となる基準として、「個人が交通事故で亡くなる確率は6000分の1である」という事実を示し、それと比較して適正な保険料支払いをより正確に検討させることができたとあります。

2)とは、期待値を使って事象リスクの対策によって得られる価値を比較して意思決定する(これを「期待効用モデル」と言います)代わりに、「私にとってリスクであるかないか」の二元論で意思決定を単純化することです。クンリューサーはこれを「閾値モデル」と呼んでいます。事象リスクが起こる確率が、その人の持つ閾値より低いと判断されると、「私には起こらない」と発生確率をゼロに切り下げてしまうのです。身近な例で考えてみましょう。雨が降るという事象リスクで、「降水確率80%」と予報されると、多くの人は傘を持っていくという対策を取るでしょう。しかし、「降水確率10%」と予報されると、多くの人は「雨は降らない」=事象リスク確率ゼロとみなし、傘を持っていくという対策を取らないでしょう。

これらとは逆に、事象リスクが起こってから過剰な防衛策を講じる傾向も見受けられます。ある地域で大きな地震が起こった後、その地域の地震発生確率は下がっていることを知っているにも関わらず、地震保険に加入する、といった例です。クンリューサーは、これは過去の経験、恐怖、心配という定量化できない要素が意思決定に影響を与えるためだとしています。

クンリューサーが指摘した問題点や傾向はアメリカにおける事例や研究を元にしていますが、日本では事象リスクを具体的に考え、備えることをおろそかにする理由として、「いやなこと・起こってほしくないことは口にしない」日本独自のコトダマ(言霊)信仰も影響しているのではと考えます。(コトダマ信仰については過去のコラム「見えない力が日本人を束縛する」で詳しく述べています。
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http://www.integratto.co.jp/column/033/

ここまで見てきたように、防衛のためのコストは、事業投資のような攻めのコストより意思決定が難しいものです。それは人が低確率の物事を想定し、評価することが苦手なことにつながっています。クンリューサーは、よりすぐれた備えの意思決定のために、確率を使った検討方法について以下の2つのポイントを組み合わせることが有効であるとしています。
1)確率を比較することによって具体的な検討に導く
化学工場の例で示したように、確率が低い事象リスクを意思決定者がイメージしやすい事象リスクと比較して提示すれば、よりうまくリスクを評価することができる。確率を別の指標(化学工場の例では保険料)に換算するよりも、確率自体を比較提示することが効果的であるとしています。
2)極端に低い確率を提示することを避ける
「ある事象リスクはそのままでは0.0006%で発生するが、この打ち手を実施することにより発生確率が0.0003%に抑えられる」と説明しても、閾値モデルで行動する人には行動の変化を促すことができません。「ある事象リスクに対してこの打ち手を実施するとリスクが半分に減る」と表現したほうが、より大きな行動の変化につながるとしています。

加えて、事象リスクを想定すること自体が不足しがちな日本人にとっては、事象リスクを想像するプロセスを整備して事象リスクの洗い出しを定期的に行い、事象リスクの優先順位付けと打ち手の検討を継続的に行う取り組みが必要と言えるでしょう。

(井上 淳)

参考文献:「ウォートンスクールの意思決定論」S・J・ホッチ/H・C・クンリューサー、小林陽太郎監訳 東洋経済新報社