東日本大震災から1年が経過しました。未だに多くの人々が避難生活を強いられ、不自由な暮らしを送っています。改めて被災された皆様にお見舞い申し上げたいと思います。

 今回の震災では、地震や津波という天災で被害を受けた方々以外にも、福島第一原子力発電所の事故により避難生活を余儀なくされた方も多くおられます。今回のコラムでは、この原発事故対応のプロセスから「事故により生じた放射能拡散の影響をどのようにとらえ、今後どうなるのか」を検討する予測と評価のアクションを取り上げて、これら予測や評価の役割について考えてみたいと思います。

 福島第一原発事故の対応を巡っては、今後の放射能拡散の予測と評価に役立つシステムとしてSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の存在が広く知らしめられました。このSPEEDIがどのように利用され、公表されたかについては、政府の事故調査委員会の中間報告(*)に記載された内容を元にしました。以下はその中間報告のSPEEDI利用から初回の公表(3月23日)までの要約です。

・SPEEDI予測計算の根拠となるデータソースは事業者(この場合は東京電力)から提供されるシステムになっていたが、地震と津波で福島第一原発の外部電源が喪失したことによりデータの提供が受けられなくなった
・そこで文部科学省は管轄部署で3月11日夕方に放射性物質の放出量データを仮定して拡散予測を行い、同日中に関係先(原子力安全委員会・現地オフサイトセンター・福島県など)に送ったが、仮定のデータに基づく予測結果のため、いずれの関係先でも避難計画の材料として使われなかった
・しかし少なくとも避難の方向を判断するには有用な予測結果だった
・その後、3月11日から15日にかけて、文部科学省と原子力保安院と原子力安全委員会はそれぞれ、色々な仮定のデータをSPEEDIに入力して予測計算を行った
・しかしいずれの予測結果も総理大臣や閣僚には報告されず、結果的に避難計画の検討にこれらの予測結果は活用されなかった(報告の有無については今後も検証予定)
・3月15日になって文部科学省はマスコミからSPEEDIの存在を指摘され、この予測計算結果の公表を求められた。その後、「実績値であるモニタリングデータの評価を文部科学省は行わないので、同様に予測結果の評価も同省の役割ではない」と結論付け、SPEEDIの運用主体を原子力安全委員会に変更
・これを受けて原子力安全委員会では3月16日頃から23日にかけて、モニタリングデータを使って予測値との比較補正を行い、実際の放出量の推定を行った
・その結果、3月23日時点で設定されていた原発から半径20kmの避難区域より外側にも「既に」高い放射線量が流れたことが推定された。また、この推定結果は同日中に公表された
・しかし政府はデータの精度に問題があることと、避難区域を拡大するには準備が必要なことを理由に直ちに避難区域を拡大する判断は行わなかった
・半径20km以遠で放射線量が高いと推定される区域については、避難指示である「計画的避難区域」と緊急時に避難できる状態にすべき「緊急時避難準備区域」に分けて指定された。この指示が発表されたのが4月22日である

以上の経過をまとめると、
 1)SPEEDIを使った予測を行ったが、その予測結果を避難判断に使わなかった
 2)この予測結果を元にした避難区域の再設定は予測結果公表の約1ヶ月後となった
と言えます。

当社HPでは、当社の考えとして「うまく行く未来も、うまく行かない未来もビジネスシミュレーションによって、他の人にも分かる予想図を描き、共有した上で意思決定し、行動すべきだと、私たちは考えます」と掲げています。今回の原発事故とその後で起こったことはビジネスシーンではありませんが、「与えられた予想図を評価して自分の行動を決める」という行動パターンがあり、またそのような行動が必要な場面があることを多くの人々に否応なく知らしめたのではないかと考えます。
それと同時に、今回の原発事故とそれに伴って公開された放射能に関する予測結果の存在自体が、多くの人々、特に避難の判断を迫られた人々にとって、忌まわしい・見たくない・考えたくないといったネガティブなイメージしか持たれなくなっているのではないかと憂慮します。

もちろん、それは予測の対象が原発事故によってもたらされた放射能というハザードであるためでもありますが、多くの人にとって、予測の結果をどう扱えば、すなわちどう評価すれば良いのか分からなかったから、というのもあるのではないでしょうか?

私たちはよく、「予測とそれに基づく評価は1つの意見である」と言います。意見である以上は、予測結果を示す側がその有意性やその「意見」から導かれる今後のリスクの有無を評価結果として示すべきだと考えます。

しかしながら、今回の放射能に関する予測結果と原発事故に対する政府の対応については、両者の因果関係が明確にされていないどころか、対応を決めた後にその対応の不十分さを裏付けるような予測結果を公表するという順番になったがために、受け取り手にとって政府による避難区域の設定という対応の情報があいまいな存在になってしまったと感じます。

社会不安は事柄の重大さ×情報のあいまいさで大きくなるとよく言われます。情報のあいまいさは情報の客観性や信憑性を低下させ、代わりに受け取り手の感情が入り込む余地を増やします。過去のコラムで山本七平の「空気の研究」を取り上げましたが(http://www.integratto.co.jp/column/024/)過剰な感情移入は物事の見方を絶対化させ、「空気」を生み出します。

本来、予測とそれに基づく評価は、「自分たちの選択が将来どのような不都合を招いても耐えられるよう予測し、準備するために必要なもの」であると考えます。この認識は地震や津波への備えに関して、さまざまや予測や評価結果の公開によって広まってきたと感じます。
それに加え、私たちが本当に目指すべきものは、最終的に自分たちの選択に確信を持つことであると考えます。今回のこの悲劇から学ぶべきことは、空気で物事を選択するのではなく、予測や評価に基づいて選択し、そのプロセスを通じて選択に対する社会的な合意性を高めることだと、私たちは強く考えます。

(井上 淳)

参考資料
http://icanps.go.jp/111226Honbun5Shou.pdf
「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会中間報告書『Ⅴ.福島第一原子力発電所における事故に対し主として発電所外でなされた事故対処』」